「―――さま、レオノールさま?」
祖国にいたときの名で何度か呼びかけられ、エレノールはようやく我に返った。
うたたねをしていたわけではなく、物思いに耽りすぎていたようだった。
眼前には色とりどりの小瓶が並べられた鏡台があり、エレノールは鏡台と対になった椅子に座っていた。寝室の一隅である。
就寝前の習慣として、乳母姉妹であり筆頭侍女でもあるイザベルの手で、丹念に髪と肌の手入れをしてもらっているところだった。
「ごめんなさい。何だったかしら」
「先ほど、王太子殿下のご近侍が、わたくしども侍女の控えの間に参りました」
「ええ」
「殿下は今晩、ご来室のご意向だそうです」
イザベルは抑えた声で主人に告げた。
エレノールは一瞬目を大きくひらいたが、とくに問いただすことはなかった。
「姫さまは、殿下から直接にお聞き及びを?」
「いいえ」
エレノールは膝上に置いた手をそっと組みなおした。


「本日のご乗馬は、楽しくお過ごしになられましたか」
「ええ。オーギュストも一緒だったの。何にでも好奇心旺盛で、エルネストを思い出したわ。
 あの子も、この半年でずいぶん大きくなったでしょうね」
半年前に祖国を出立して以来、書簡のみで消息を知る末弟の名をなつかしそうにつぶやきながら、
エレノールは正面の鏡を見ていた。
燭台のやわらかな光を宿す漆黒の双眸は、どこか遠いところをたゆたうようであった。
そのたゆたう先が肉親の在るところばかりとは限らぬことを、長年仕えてきた侍女もまた承知していた。


「殿下は、―――王太子殿下のことですが、本日は何かご用件があって姫さまをお連れ出しに?」
「いいえ。遠乗りによい気候だから、お誘いくださったのだと思うわ」
「お二人きりになられたことは?」
「オーギュストは時々、丘の向こうに見えなくなってしまったけれど」
「さようですか。―――姫さま」
イザベルはためらいがちな、思いつめたような声になった。
「乗馬用のお召し物についた泥のことですが、あれは姫さまの御身に、その、常ならぬ事態があったというわけではないのですね」
「常ならぬ?」


エレノールはまた少し目を見ひらいたが、今度は侍女のほうを振り向いた。
いつのまにか目元が紅潮していた。羞恥を孕みながらも、おそらくは主として憤りによるものだった。
「あなたは、何かあったと考えていたの?わたくしと、―――あのかたとの間に」
「非礼を申し上げました。何卒お許しください」
「―――いえ、非礼ではないわ。わたくしたちは夫婦なのだから、そう考えても無理からぬこと。声を荒げたりして、ごめんなさい」
エレノールは詫びを告げて目を伏せ、鏡にまた向き直った。
イザベルもまた作業に戻ったが、化粧道具一式のなかから爪の艶出しに必要な瓶を取り出していたとき、主人から小さな声で問いかけられた。


「あの娘たちは、幸せかしら」
「畏れながら、あの娘たちとは」
問い返しつつも、イザベルはおおむね意味を察していた。
エレノールの婚礼行列にひっそりと加えられた年若い女の随員たち―――「あの娘たち」の存在については、
いまこの場にいる二人とも以前より承知していながら、これまであえて話題にのぼしたことはなかった。
「わたくしの輿入れに付き添うよう、お父さまがお命じになったあの五人の娘たち。―――アランの寝所に侍るようにと」
「畏れながら、国王陛下が直接人選にあたられたわけでは」
「最終的な裁可を出されたのはお父さまだもの、同じことだわ」


イザベルは一瞬ためらってから、事務的な口調で切り出した。
「王太子殿下の畏き思し召しにより、彼女たちは分け隔てなくご恩愛に浴しているかと存じます」
「結果として、そうみえるかもしれないわ。
 でも、彼女たちが最初から、それを望んだわけではないでしょう。元々はまったく知らない、隣国の王族だもの」
「わたくし自身はあの者たちの選定の過程に携わったわけではございませんが、いずれにしても、事情が事情ですから、強制力は伴っておりませんでした。
 人選を掌った女官は陛下のご意向を受けていたとはいえ、選ばれた側も、率直に辞退することは許されていたと伺っております」
「そうね、王女の身代わりに隣国の王子の寝台で奉仕する女子を、宮廷で徴募するのだものね。
 公になったらただならぬことだと、お父さまもご心配なさったに違いないわ」
「姫さま、どうか、そのようなご非難めいたことは。
 ―――わたくしが見るところ、あの娘たちは、この宮廷で決して不幸ではございません」
「それは、スパニヤにいたときの彼女たちが、さして幸福ではなかったという意味ではないの?
 もともと不運な境遇にあった彼女たちに、そこから抜け出せるように見える道を提示してこの国へ連れ出した、そういうことではないの?」
「―――たしかに、あの娘たちはいずれも、由緒正しい家門に連なる血筋とはいえ妾腹の生まれで、
 生家では露骨に冷遇されたり、身分の低い母親の実家に預けられたりしてきたと聞いております」
ためらいながらも、イサベルはその点を認めた。


「ゆえに、父親である当主からの財産分与にあずかることもできず、早いうちから宮仕えに出され、そのうちに抜きんでた美貌が衆目を集めるようになり、
 ―――我がスパニヤの宮中で、もっぱら貴族を相手として、一種の接待を務めとするようになったようです。
 そのための社交技術も、身に培ってきたのでしょう」
「接待?」
「―――寝台での、奉仕です。いま、王太子殿下に捧げているような」
エレノールは目を大きく見開き、侍女のほうを振り返った。
「知らなかったわ。スパニヤ宮廷でそんなことが行われているの?」
「いずれの国の宮廷でも、多かれ少なかれ、同じことは起こっておりましょう。
 階層を昇ってゆくために、言い換えれば自分で自分の道を切り拓くために、あえてそのような手段を選ぶ娘たちはどこにでもいるものです。
 あの五人の娘たちの経緯は存じませんが、いずれにしても、すでにそういう務めに慣れていたがゆえに、このたびの選定の対象になったのです」
「慣れていたから、同じような奉仕を新たに命じても、苦痛にはなりえないはずだと、そういう意味なのね?」
「レオノールさま、―――国王陛下はまことに、姫さまのお心を慮って」
「存じ上げているわ、もちろんそう、わたくしのため。お父さまはわたくしのためならば、どこかの家の娘を贄にすることはためらったりなさらなかった」
「―――畏れながら、あえて断言させていただきますが、あの娘たちはいまこのガルィア宮廷で、決して不幸ではございません」
「奉仕する相手がたまたま若く美しい貴公子だから、という意味?」
「それだけのことではございません。
 王太子殿下はあの通りお美しく優雅なだけでなく、相手が侍女だからといって決して軽んじたり無理強いしたりなさらず、
 ―――むしろ、本物の恋人のようにお扱いになると仄聞しております。
 五人の娘たちは多かれ少なかれ、境遇に満足しているようです」
「本当?―――彼女たちは、心からアランを愛するようになったのかしら」
「それは、わたくしには何とも―――。ですが思慕を感じているのであれば、やはり悪いことではございません。お勤めが苦痛ではないのですから」
「そんなはずはないわ」


ほとんど叫びといっていい否定に、今度はイサベルが目を見開く番だった。
自らが発した声の大きさに、エレノール自身もまた驚いたようであった。しかし彼女はその先をつづけた。
「誰かを真剣に愛したら、そのひとを他の大勢と分かち合うことに耐えられるはずがないわ。そうでしょう?」
「姫さま、―――そろそろ、御髪が乾いたようですわ。もう一度櫛を」
「はぐらかさないで」
彼女にしては珍しく、エレノールは強い口調でつづけた。
「アランはあまりに多情な、不実な方だわ。
 結婚前からの愛人、―――いえ、女性の『ご友人』との交遊もつづけておられるとはいえ、
 いまもなお、宮廷の貴婦人たちのなかから次々に新しい相手を見つけていらっしゃる。
 あの五人の娘たちも、いつまでも今と同じ寵愛を保てるわけではないでしょう」
「姫さま、どうかご安心ください。彼女たちは、一通り役目を果たした後は、帰国して十分な手当と身分が与えられることになっております。
 退役軍人や官僚に対する処遇と同じことです」
「もちろん、経済的な保障はとても大切だわ。でも、わたくしが言うのはそれだけではない。分かるでしょう」
イザベルは黙していた。
「あの娘たちがアランを愛してしまっていたら、一体どうなるの。
 寵愛が衰えたから、務めが終わったからという理由で、彼女たちを返してしまっていいの?
 人の心は、そんなふうに簡単に、切り裂いていいものなの?そんなことが、許されるの?」
最後のほうの語気はすでに、押し殺した悲鳴のようになっていた。そうなることを予期していたので、イザベルは依然耳を傾けるのみだった。
「本当は、もっと早く、それを問わなければならなかったのに」
エレノールの声が、喉の奥でかすれたようになった。
「わたくしはいつも、自分のことだけでいっぱいになっている」


「レオノールさま、もしおよろしければ」
張り詰めたような沈黙のなかで、イザベルが静かに口をひらいた。
エレノールは顔を上げ、鏡のなかの侍女と目を合わせた。
「あの五人の娘たちを、今からでも御前にお連れいたしましょう。じかにことばをお交わしになることで、ご懸念が晴れるかもしれません」
思いがけない提案に、エレノールは目を見張った。
長年忠実に仕えてきてくれたこの筆頭侍女は、「王太子妃の輿入れに伴い、ガルィア宮廷入りしたスパニヤ出身の侍女」という点において
五人の娘たちと公的な立場を同じくしながら、その存在について自ら口にしたことは、これまで一度もなかった。
エレノールにふだんつき従う侍女団のなかにも、五人の娘たちは基本的に加わっていない。活動の領域が明確に分けられているのだ。


「彼女たちに」
問いかけに対し直接答えるでもなく、エレノールは口のなかでつぶやいた。それから、鏡のなかのイザベルに向きなおった。
「そう、もしそうできたなら、それがきっといいわね。―――でも、どうか」
「はい」
「あなたから彼女たちに、事前に言い含めるようなことはしないでね。彼女たちの真情を、ただ知りたいのです」
「謹んで承りました」
寝室から退去してゆくイザベルの後ろ姿を鏡のなかで確かめてから、エレノールは改めて鏡のなかの自身に目をやった。
灯火を反照する漆黒の瞳が、ものも言わずに彼女を見返していた。
真冬の夜の海よりも深い、と遠い日に告げられた瞳だった。
(あのかたが今のわたくしをごらんになったら、何とおっしゃるだろうか)
わたくしは、祖国の宮廷を離れたときの自分から、どれくらい変わっただろうか、―――あるいは、同じ場所にとどまりつづけているだろうか、と思った。






燭台の灯芯がさほど短くならないうちに、扉の向こうから、入室の許可を求める声が上がった。
イザベルは果たして、五人の娘たちを従えて戻ってきた。
娘たちはみな一様に、頭部を覆うヴェールから靴まで、信仰心の篤さで名高いスパニヤの侍女らしい簡素で慎み深い身なりを整えていた。
顔の造作が端麗であるのみならず、全体の挙措に楚々とした雰囲気をまとっており、全員が修道院育ちだと聞かされてもさほど違和感はない。
「レオノール妃殿下に、謹んでご挨拶申し上げます」
五人の娘たちは楽隊の旋律のような正確さで一様に下衣の裾を持ち上げ、恭しくこうべを垂れた。
エレノールはそれ以上の礼を免じ、楽にするよう勧めた。


「夜が更けてきたのに、突然に呼び出してしまい、ごめんなさい」
「滅相もございません。妃殿下御自らこのようにお声がけくださるなど、身に余る光栄に存じあげます」
娘たちはふたたび深く頭を下げた。静止の時間もしばしつづいた。
エレノールとふだんの側仕えの侍女たちとの間にある一種のくつろぎ、気安さは、当然ながらこの五人の娘たちとの間にはまだ生まれていない。
だがやがて彼女たちも面を上げ、右端の者から順に名乗りをあげていった。
みなエレノールと同じか少し上、二十歳手前から二十代前半に見えるが、右端の娘が最も年長で世話役のような存在なのであろう。おそらくは年齢順に並んでいる。
クリスティーナと名乗ったその娘をはじめ、いずれの者も、貴族出身であることを示す姓をもっていた。


「そう、ありがとう。
 わたくしの婚礼以来、あなたたちは、アランに、王太子殿下に、その―――」
エレノールは思わず言い淀んだ。何を話題にするかは最初から分かっていたはずなのに、いざその場になれば、口に出すことは決して容易ではなかった。
「わたくしに代わって、アランに仕えてくれているのね」
娘たちは口では答えず、いっそう深くお辞儀をした。
「何をいまさらと、思われるかもしれないけれど、―――お勤めは、つらくはありませんか」
娘たちはほんの少し、とまどった表情を浮かべて視線を交わしあった。
みなを代表するように、クリスティーナがやはり最初に答えた。
イザベルから事前に言い含められなかったとしても、こうして呼び出されたおおよその理由を自分で推測し、ある程度答弁を準備していたのかもしれない。


「妃殿下におかれましては、わたくしどものような者にまで慈悲あふれるお心遣いを賜り、心より感謝申し上げます。
 畏れながら、わたくしども一同、王太子殿下からも心あるお取り計らいを賜っております。
 決して、無理強いや乱暴な扱いを受けたことはございません。どうかご安心くださいますよう」
「あなたたちは、アランのことが好き?」
五人のなかで最も落ち着きのあるクリスティーナも、これには不意を食らったような顔をした。
「その、愛している、という意味の『好き』だけれど」
「―――王太子殿下の深き思し召しには、わたくしども一同、常に心より感謝申し上げております」
「感謝と愛は、別のものだわ」
「―――妃殿下のおっしゃるような意味で、王太子殿下に思慕を捧げるというのは、まことに恐れ多いことでございます」


「あたしは、王太子殿下のことが好きです。紳士です。いつも、まともな扱いをしてくださいます」
初めて、クリスティーナの傍らから声が上がった。
強く異議を呈するというのではなく、単に自分の気持ちを述べようとする調子である。それだけに、妙に場違いな響きがあった。
ほかの娘たちが、彼女を次々に小声で叱責する。
「ローサ!」
「ロジータ、黙っていなさい」
ローサ、もしくはロジータという愛称で呼ばれた娘は、格別に童顔というのではないが、
表情や声音に満ちる素朴さあるいは率直さのために、五人のなかで最も若くみえる、そして実際に最も年少であろう娘だった。
それでも、エレノールやアランとほぼ同じ、十七か十八といったところであろう。
エレノールはほかの娘たちを制し、ローサに向きなおった。


「そう、あなたは、あのかたを好きなのね。―――では、やはりつらいのではありませんか」
「つらい?」
「あのかたに、―――アランに、ほかにもたくさんの女のひとがいるということ」
ローサは初めて口ごもり、少しだけ大人びた表情になった。
「でも、そういうものですから」
「そういうもの?」
「あのかたの『特別な誰か』になってはいけないという決まりのもとで、こちらの宮廷に参ったのですから。
 それに、仮に王太子殿下があたしや、あたしたちの誰かをただひとり選んでくださったとしても、
 子をもうけることは避けないといけませんし、できたらできたで、決して喜ばしいことではありません。
 あくまでそういう関係としてお仕えするというのは、スパニヤの宮廷にいた頃から言い含められて、分かっていたことですから。
 好きになってしまって、それがつらいのだとしたら、それは、―――好きになったほうが悪いんです」
「いいえ、あなたは悪くないわ。
 あなたが、あなたがたが今のようにアランに仕える状況が始まったのは、もともとは、わたくしに責があることです」
「いえ、そんな、姫さま。
 ―――でも、あの、やっぱり、―――畏れながら、今の状況は、やはり姫さまにも、非があると思います」


「なんということを、ローサ!」
「ロジータ、いいかげんになさい!」
「ご、ごめんなさい、あたし―――」
「妃殿下、どうかお許しくださいませ。この娘は生家の事情で城下での暮らしが長く、このような場で話すことに慣れていないのです」
「いいえ、その子を責めないで。ローサ、どうかつづけて」
ローサは同輩たちの険しい表情を不安げに見比べてから、王太子妃の顔をおずおずと見やった。エレノールもまたローサをじっと見ていた。
王太子妃の要請がうわべだけのものではないことを感じとったのか、ローサはためらいがちながらも、ふたたび口をひらいた。
「では、あの、―――姫さまはあのかたのお子を生むためにこの国へ嫁いでこられたのですから、王太子殿下をお受け入れになったほうが、お楽になれると思います。
 義務を果たしていない状態に、姫さまがずっと苦しんでこられたのは、あたしたちにも分かります。
 お子が、誰からも望まれるお子が生まれさえすれば、誰もが幸せになり、すべてが円満になるのではないでしょうか」


ローサの口調はあくまで淡々としていたが、エレノールは胸を突かれた。
ローサや彼女の同輩たちが仮にアランの子を授かったとしても、その子は「誰からも望まれる子」として世に出ることはできないのだ。
ローサはエレノールを責めてはいなかった。
ローサ自身が愛情を感じているアランの、王太子の子どもを生む正当な権利を所持しているのは、
彼が婚姻の秘蹟を結んだそのときから、この地上でエレノールただひとりである。
それでいながらその権利を自ら放棄しているエレノールに対し、ローサは憎しみや苛立ちを募らせているわけではなかった。
ただ、この世の定めはそういうものだ、と―――神の名において祝福される子を生む権利は正妃だけのものだ、と諦観しているだけだった。


(みなが)
エレノールはただ黙していた。
(みなが、多かれ少なかれ何かをあきらめ、何かを受け入れているのだ)
人懐こい仔猫を思わせるローサの愛らしい顔を見つめたまま、そう思った。
いま初めて気が付いたわけではない。大人なら当たり前のことだと思ったが、いまこのときほど切実に、胸奥が暗く塞がれるほどにそれを感じたことはなかった。
エレノールは少し目を伏せ、それからローサに視線を合わせた。
「あなたのことばを、胸に留めたいと思います。ありがとう」
「いいえ、あたしったら本当に、失礼なことを」
「レオノールさま、王太子殿下がそろそろご来室かと」
エレノールと五人の娘たちとのやり取りに対し、それまで口を挟まずにいたイザベルが、初めてことばを発した。


「もう?就寝の時刻までは、まだ間が―――」
「まあ、それでは早々においとま申し上げなければ」
年長のクリスティーナが大仰に恐縮したように手で口を覆い、傍らの同輩たちを見やった。
四人の娘たちもまた、その意を汲んだようであった。
入室してきたときと同様な恭しさを保ちながら、美貌の侍女たちは王太子妃に深々と礼を捧げた。そして歩調を合わせながら、粛々と部屋を出て行った。
その肉感的な輪郭には不釣り合いなほどにつつましい制服の裾が、衣擦れの余韻だけを残した。


「レオノールさま」
しばしの間を置いてから、イザベルが主人に囁きかけた。
「これで、お分かりいただけたことと思います。
 あの娘たちの身の上に対して、姫さまがご懸念を持たれるようなことはございません。
 みな、条件に納得したうえで、―――王太子殿下との関係にも悲嘆や不安をおぼえることなく、こちらの宮廷での勤めに励んでおります。
 どうか、お気がかりを払拭なされますよう」
エレノールはすぐには答えなかった。
ローサたちが立ち去った後に残った空白を、ただ静かに見つめていた。


やがて、「わかったわ」とだけ答え、立ち上がった。
たとえ今すぐにではなくても、夫が今夜本当に来訪するのならば、ある程度は心の準備をしなくてはならない。
寝台近くの窓辺に近づいたエレノールは、厚手のカーテンとレースの帳を少し開けて、ガラス越しに外を見た。
星の瞬きはほとんど見えず、緞帳のように重々しい闇が広がっていた。




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