「わあ、ここはクローバーがいっぱいだね」
なだらかな丘陵地帯いっぱいに広がる緑の毛氈を見渡しながら、弟王子がうれしそうに言う。
長兄のアランが郊外に散策に行くというので、彼の葦毛に同乗して連れてきてもらったのだ。
六歳のオーギュストはまだ自分では馬に乗れないでいる。
「ねえさまはシロツメクサ好き?」
従者に助けられつつ小柄な白馬から下りようとする兄嫁を見上げながらオーギュストは尋ねた。
アランは本来、妻だけを誘うつもりだったのだが、
幼い末弟を伴った方が場の雰囲気を和らげることができるかと思い彼を連れてきたのだ。
むろん幾人かの従者たちも影のように付き従っている。




「ええ、好きよ。かわいらしいもの」
乗馬中の向かい風のためにやや乱れた黒髪を直しながら、エレノールは幼い義弟に微笑みかける。
「じゃあぼくがたくさんつんであげる。
あのね、ばあやはこれでかんむりをつくるのがとてもうまいんだよ」
「そうなの。わたくしも小さいころよく作ったわ。それから四葉を探したり」
「よつば?」
「わたくしの国では、四葉のクローバーは幸せを呼ぶといわれているの」
「そういえば、ばあやもおしえてくれたきがする。
 でもどうしてよつばがしあわせなの?」
「どうしてかしら。昔から伝えられていることだから、としか言えないわね」
義姉は困ったような顔になる。
「でもさいしょにだれかそういったひとがいるんでしょう。
 どうしてそのひとはそうおもったのかな。にいさま、しってる?」
黙って鐙を調節しているアランに弟王子は尋ねた。
自分から散策に誘ったにもかかわらず彼は道中ほとんどエレノールと口をきかず、
弟に何か聞かれれば答えるか、弟と妻が談笑するのを横で聞いているかのどちらかだった。




相変わらず妙なことを訊くものだ、と思いながらも王太子は振り向いてやる。
十二歳離れた末弟は乳幼児のころから周囲への反応が鈍く発語もかなり遅かったため、
王室付の教師たちのなかには精神的な遅滞を疑う者も少なくない。
王家ではさほど珍しい現象ではなかった。
この大陸の中枢諸国の上流層は小さな輪の中で通婚を繰り返してきたため、
王室間の政略結婚はいまやほとんど近親婚であった。
アラン夫妻も血縁からいえば従兄妹同士にあたる。




しかし彼にいわせれば末弟のようすはまだまだ観察の余地があると思う。
たしかにものごとへの反応がやや変わっており、この年にしては語彙も乏しいのだが、
他の人間があたりまえに受け入れる概念の前でいちいち立ち止まり自分で吟味したがるのは、
考えようによっては学者として大成する可能性を秘めているともいえる。
それに何より、血を分けた弟が王家の恥部としてどこか別邸に隔離され、
顔も合わせないまま成長することになるかもしれないなどと想像するのはやはり気が重かった。
喧嘩しながら一緒に育ったすぐ下の弟たちとも仲は悪くはないが、
年が離れた末弟の無邪気さ人なつこさはやはり手放しで可愛い。




足元に広がるクローバー畑、そしてゆるやかな丘陵の谷間を縫って流れる小川を目で追いながら、
アランは弟を納得させられるような簡潔にして明瞭な答えを思案している。
「自然の法則からいえば、四葉のクローバーというのは奇形、つまり異常だ」
「イジョウって?」
「ふつうではない、ありふれてはいないということだ。
幸せもそれと同じでそこらにありふれてはいないものだ。
四葉が幸せをもたらすと最初に言い出した者はたぶんその辺から連想したんだろう。
別に根拠はないはずだ」
「そうか、しあわせはイジョウなんだ」
神妙な顔でオーギュストは兄のことばをくりかえす。
分かっているのだろうか、とアランは疑わしい気がするが、
そもそもこの言い伝え自体たいした意味はないのだ。
深く考えるのもばかばかしい。
いかにも婦人の好みそうな風説だ、と妻の姿を横目で見る。




半年前に娶った妃のエレノールは隣接する大国スパニヤの出身である。
王太子夫妻の成婚とあって国中が沸き立ち、膨大な国費が投じられて婚礼が執り行われた。
式典の長々しさと仰々しさにアランはつくづく辟易したが、
終日にわたる儀式をなんとか終えて寝室に向かうころには、やや気力をもち直していた。
従妹とはいえこれまで顔を合わせることもなかった花嫁だが、祭壇で見る限りは悪くなかった。
アランと同い年で十八歳のエレノールは、
さすが太陽と情熱の国から来ただけあって健康的な小麦色の肌をもち、
黒髪はまばゆい光沢にあふれ、漆黒の瞳は牝鹿のように大きくて優しげだった。
式典ではそれらすべてが純白の衣装に映え、宮廷および参道の人々の賞賛の的となった。




見る者によっては「絶世の」をつけてもいいくらいの佳人だが、
アランのように幼少時から美形ぞろいの女官にかしづかれて育ってきた青年の目には、
エレノールの容姿はそこまでの感動はもたらさなかった。
しかし式の合間に侍女と母国語で話すようすなどを見ていると、
その明朗で思いやりある態度はたしかに好ましく感じられた。




さりながら、初夜は彼の想像とは打って変わった展開になった。
「どうか、わたくしに御手を触れないでください」
寝室でふたりきりになったとき、エレノールは震える声で花婿に告げ、胸元から短剣をとりだした。
「あなたを傷つけるつもりはありません。
でもお触れになるようなことがあれば、わたくしは自害いたします」
(なんという女だ)
アランは驚くよりも先に呆れた。
この花嫁は立場上の義務や使命といったものをまるで理解していないようだ。
政略の駒として使えるのがこんな娘しかいなかったとはな、
とスパニヤ国王を哀れむ気持ちさえ沸いてきた。
彼は面倒ごとが嫌いなのであえて騒ぎ立てるつもりもないが、
仮に明朝ありのままを廷臣の前で父王に報告したら外交問題にさえ発展しかねないほどの愚行だ。
この娘はそれを分かっているのだろうか。
ここまで思い切ったことをするからには何がしかの理由があるのだろうとはいえ、
アランは花嫁のあまりの短慮さにたちまち興ざめをおぼえ、
昼間彼女に抱いた好ましい感情も立ち消えてしまった。
彼は無言のまま花嫁と対峙していたが、やがてひとりで寝台に上がり、彼女に背を向けて眠りに就いた。




翌朝、エレノールに付き従ってガルィア宮廷にやってきた年配の女官から秘密裏にご面会したいとの申し出があった。
まあそうだろうなと思いつつ彼女を引見すると、五人ほどの妙齢の侍女たちを従えている。
「われらが王女のことはどうかお怒りくださいませぬよう。
 王太子殿下におかれましてはどうかもうしばらくご忍耐いただきまして、
時間をかけて王女の御心を解きほぐしていただけますれば恐悦でございます」
白髪の女官は平身低頭して詫びたが、王太子はそれを制止した。
「そなたは悪くない。それよりも事情が訊きたいのだ。なぜ姫はあんなことを?」
女官は答えなかった。そのかわり同伴した五人の美女たちを招きよせ、代わる代わるアランに挨拶させた。
「スパニヤ国王のせめてもの御心遣いでございます。
 殿下の御無聊は、しばらくはこの者たちがお慰めさせていただきますので」




(さすが義父上、よく分かっておいでだ)
ロゼという名の五人目の娘の腹部に何度目かの精を放ちながら、アランは満足しつつそう思った。
ただひとつ残念なのは、嫡子をもうけるまえに庶子が生まれたりしないよう外に出さねばならないということだ。
べつに周囲に強制されたわけではないとはいえ、アランは義務感から常にそうしていた。
献上された侍女たちはこれですべて賞味したことになるが、
いずれも豊満で清純で従順で夜は床上手、というアランの―――
あるいは世の男の大半の―――嗜好をほぼ完璧に満たした選りすぐりの美女ばかりである。
理知的なことでは宮廷でも定評がある王太子だとはいえ、
弱冠十八歳の彼が婚礼後最初の一週間が終わらぬうちに全員に手をつけてしまったのも無理からぬことであった。




「アラン様」
やや訛りのある可愛い声でロゼが身体を寄せてくる。
「あたし幸せですわ。
最初ガルィアの王太子にお仕えせよと命じられたときはとても怖かったけど、
アラン様はとてもお優しくて、紳士的で」
そして彼の頬に手を触れる。
「とてもお美しくて」
言われ慣れたことなので別に否定もせず、アランは自分の赤味がかった金髪をまさぐられるがまま、
娘に腕枕をしつつその乳房をもてあそんでいた。
「やあぁん……っ」
熱い吐息とともに耳元で漏れた声があまりに愛くるしいので、
大きめの乳首を小刻みにこすりあげて限界まで硬くしてやってから、手をさらに下に持っていった。
濡れに濡れた秘肉はさきほど彼自身をくわえ込んでいたときの熱がまだ残っているにもかかわらず、
技巧に富んだその指の訪れを過敏なまでに歓んだ。
ふたたび大きくふくらんだつぼみをさすられるがまま、ロゼはあられもなく腰を浮かせ、
王太子の指がたわむれに離れていこうとすると両手で押さえつけ、本能の命ずるまま快感を享受していた。




身も心も素直で屈託のない侍女が自分の指でのぼりつめていく嬌声を聞きながら、
彼の涼やかな茶色の瞳は天蓋の一点を凝視している。
当然ながら、ここは妃の部屋ではなく彼の自室である。そろそろ妃のもとへ足を運ぶべきだろうか、
と彼は考え始めていた。




しかしながら、婚礼から一週間してもエレノールの態度は変わらなかった。
相変わらず寝所で短剣を胸に抱いている。
せっかくこちらから歩み寄る気になったのに勝手にしろ、
とアランは言い捨てたくなったがぐっとこらえ、辛抱強く妻に声をかけた。
ここまで人の下手に出たのは彼の人生で初めてのことかもしれない。




「エレノール、よく聴いていただけないか。
われわれの結婚はわれわれだけのものではない。スパニヤとガルィア両国の末永い友好の象徴だ。
だからこそ形骸的であるべきではないのだ。
昔からの許婚者だったとはいえ昨日今日会ったばかりの男と肌を重ねるのが容易なことでないのは分かる。
しかしあなたにはここまでするだけの理由が何かあるはずだ。
まずそれを教えていただけないか。お互いを分かり合うために」
しかし新妻は黙ってうつむき、口をつぐんだままである。
王太子はじっとそこで待っていたが、ついに真夜中を過ぎるとひとりで横になった。




その次の晩、彼は同様にして寝室で花嫁に問いかけた。
しかし反応は変わらない。アランはかなり長い間彼女の横に腰掛けて返事を待っていたが、
やがてどうでもよくなり、辞去の挨拶もせずに寝室を出て自室へ戻ると、
例の侍女たちのひとりを呼ぶようにいいつけた。




それからというもの、アランは自分から妻のもとを訪れることはしなくなった。
食事の時間は決まっているのでともにテーブルを囲まないわけにはいかないが、
向かい合ったふたりはただ黙々とナイフやフォークを動かし、グラスを口に運ぶだけである。
公式行事の場でも必要がないかぎり決してことばを交わさない。
そんな異様な関係が周りに感づかれないはずはないが、
ふたりともそ知らぬ顔をして淡々と公務をこなし、今に至っている。




「わあっ」
王太子夫妻は同時に振り返った。
見ると弟王子が低い土手を転げ落ちていき、小川のぬかるんだ岸辺に身を浸していた。
四葉のクローバーを懸命に探していたせいで石につまずいたのだろう。
幸い土手はごくなだらかなので大事には至っていないが、やはり身体のふしぶしを打ったらしい。
服を泥で汚しながら泣きそうな顔をしている。
「大丈夫か、オーギュスト」
心配が半分、いつもながらの末弟の不注意さに呆れるのが半分といった顔でアランが土手を降りようとすると、
彼よりも従者たちよりも先にオーギュストに駆け寄って助け起こした者がいた。
エレノールだった。




「ねえさま、いたいよう」
「そうね、痛かったわね。でも泣かなくて偉かったわ。オーギュストは強い子ね」
「―――うん、ぼく、泣いてない」
すすり上げそうになるのを我慢する義弟を胸に抱き寄せながら、
エレノールは彼の顔についた泥をハンカチで拭ってやる。
むろん彼女の服も靴もすでに泥で汚されている。
(そんなことは従僕に任せればよい)
そう思いながらも、アランは黙ってふたりを眺めていた。
足元ではクローバー畑が微風に揺れている。




 * * * * * * * * * * * * * * * 




その晩、アランは実に半年ぶりに妃の部屋へ向かった。
昼間の上天気とは打って変わって、月も星も見えない暗い夜だった。
(どう言い出したものか)
控えの間の侍女たちに取り次がせ、寝室の扉に手をかけると、アランはそこで静止した。
数日前、彼は母親に召しだされたのだった。
正確には母后が療養する王家の別荘へ呼び出されたのである。
彼女は二十年にわたる結婚生活で健やかな男女の赤子を次々とあげながら、
自身の健康は徐々に失っていくことになった。
今では一日の大半は床に伏せっている。
久しぶりにふたりきりで向かい合うと、
アランは母の病み衰えぶりを直視しないわけにはいかなかった。




くちづけするために枕元に跪いて手を乞うと、手首が嘘のように細くなっていた。
理の勝った気性のアランもさすがにことばを失いその場に凍りつく。
できるだけ病の話はするまいと決めると、
彼は似合わぬほど饒舌になって最近の愉快なできごとを母に報告した。
ひと段落ついたとき、母后はようやく口を開いた。
「成人したわが子にこんなことを訊くのはどうかと思いますが―――
おまえとレオノール、いえエレノールの仲は大丈夫なのですか」
見た目より毅然とした声はアランをやや安心させたが、質問の内容が彼に打撃を与えた。
自分たちの結婚生活についての風聞がこんな状態の母にまで心労をかけているとは。
アランは快活に答えようとした。
「もちろんです。まだ慶事をおしらせできないのは残念ですが、こればかりは神のご意志ですから。
ですが母上と同じくスパニヤ王家の出身ですから、あれも安産多産の体質なのはまちがいないでしょう」
そういって母親のやせ細った手を両手で包んだ。
母后は自分の面影をそっくり受け継いだ長男の顔を黙って見ていたが、
やがてかすかに首をふり、息子の顔を引き寄せると昔のように頬にくちづけた。
―――ああすべて分かっておられるのだ、とアランは思った。




とうとう意を決して寝室に入ると、エレノールは文机の前に座っていた。
しかし筆をとるわけでもなく、膝の上に置いた何かをもてあそんでいる。
それは昼間オーギュストが摘んできたシロツメクサで作った花冠だった。
弟はぼくがつくってあげると言い張ったのだが、
やはりあの不器用な手先ではうまくできずに結局エレノールがほとんど作ってやり、
自分でつくったものをなぜかオーギュストの手から進呈されるという羽目になった。




文机の上に置かれた燭台が、花冠をどこかに掛けて飾ろうと思案する妻の姿を浮かび上がらせている。
こうしてみると悪くなかった。
ふいに、自分たちのあいだに子どもができたらどんなだろうと思った。
自分とこの強情な娘が睦みあうというのは今の状況においてさえ想像できないが、
自分の子どもがエレノールのような母親をもつと仮定するのは悪くなかった。
「エレノール」
アランは妻に近づき、静かに声をかけた。
彼女は振り向きはしたものの、返事はしなかった。
王太子も無言で妻の前に跪いた。
声こそ上げなかったものの、エレノールは心底驚いた顔で彼を見つめている。
屈辱にふるえる自分の矜持をおさえつけながら、アランは冷静な声で言った。




「エレノール、あなたに頼みがある。今夜からはどうか私の妻になっていただきたい。
あなたを長らく孤閨に追いやってすまなかった。
私に不服なところがおありなら直すよう努力する。
だから事実上の夫婦となり、いずれ私の子を生んでくださらないか」
「どうして突然、そんなことを」
エレノールが小さな声で尋ねた。
「周りがみなそれを望んでいるからだ。あなたのご一門も、私の身内も。
 われわれは幸運だ。そうではないか。愛する人々みなから祝福されて結婚したのだから」
誇り高い王太子がこれだけのことを自ら口にするのにどれほどの忍辱を己に課しているか、
彼女にも分からぬはずはなかった。
しかしエレノールは沈黙し続けたあと、わずかにこうつぶやいただけだった。
「わたくしには―――みなから祝福されて結婚したことが幸運だったとは思えません」




アランは立ち上がった。
一瞬にして猛禽のように変じた彼の目つきを見ると、意志の強い王女もさすがに怯えたような色を浮かべた。
王太子は逃すまいとするかのように、彼女の襟をつかんで立ち上がらせ顔を近づける。
エレノールは驚愕と恐怖とで黒い瞳をさらに大きく見開いた。
「理由を言ってやろうか。
そなたは母国の宮廷で一介の文官と通じていたのだろう。
あの侍女たちが寝物語に漏らしてくれたわ。
おおかたその男は婚礼前にそなたに逃亡をもちかけ、
それが事前に露見して罪を得たのだろうが、それが俺と何の関係がある。
わが頼みに応じる気さえあれば純潔でないことなどこの際目をつぶったものを、
そなたはいまだ下賎な男への思慕が断ち切れぬとみえる。恥を知れ」
そういって妻を床に叩きつけるかと見えたが、さすがに自制して襟から手を離すだけにとどめた。
それでも均衡を失ったエレノールの身体は床に崩れていく。
燭台に立つ蝋燭のはぜる音が耳に届きそうなほど、夫妻の寝室は静寂に満たされていった。




「―――あなたのおっしゃることは本当です」
妃は冷たい床の一点を見つめながらひとりごとのように口を開いた。
「わたくしは恥を知らない女です。
 あなたには何も非はありません。
 さりながら自分の失った恋に執着するあまり、許されぬほどあなたを、夫たるかたをないがしろにしてしまいました。
 ふたつだけ、間違いがあります。
 わたくしはまだ生娘です。
 そして、婚礼前に連れて逃げてくれるよう頼んだのはわたくしのほうです。
 でも彼は応じませんでした」
エレノールはことばを切った。
しばらく口をつぐんでいたが、やがてためらいがちに開いてつづける。
「そのかわり、出国する前夜にこの身にくまなく触れて、接吻してくれたのです。
 その記憶をあなたの手で―――他の殿方の手で塗り替えられたくはなかったのです。
 どうしても」




アランは、はっ、と鼻で笑った。
気位こそ高いとはいえつくづく幼稚な女だ。これで自分と同い年だとは。
「つまりそなたの片恋だったというわけか。
何をそこまで神妙な顔で語る必要がある。
あらゆる犠牲を払ってでもその男がそなたを助け出すのが当然だとでも思っていたのか。
自分にそれだけの価値があると。己が世界の中心だとでも思っているのか。




冷静に考えてみよ。
仮にその男がそなたを連れて逃げたとしたら、その一族郎党にどんな累が及ぶと思う。
スパニヤの刑法についてはよく知らぬが、
わが国では王族の拉致誘拐を企てた者の身内は三族まで連座する決まりだ。
たとえその男が心底そなたを愛していたとしても、
老いた父母を苦役に就かせ兄弟姉妹の未来を闇に葬ってもかまわないとまで思い切るのはよほど難儀なことだ。
あるいはその男が孤児だったとしよう。
それでも上官や同僚といった他者が監督不行き届きであるといって重い咎めを受けることに変わりはない。
わが国なら減給どころではすまんぞ。
最悪で官職剥脱、よくても辺境地帯への左遷だ。
そなたは王女としての特権はもれなく享受してきたようだが、
己ひとりの恣意でどれほどの人間に苦労をかけるか想像したことはないとみえる。




何より、そなたの頼みはその男自身の将来を奪うことになったはずだ。
ずいぶん有望な官僚だと聞いたが、
大志ある男なら誰もが望むはずの名誉と栄達につづくきざはしから
恋人を引き摺り下ろしてもそなたは平気だったのか。
かくも浅薄な王女をかどわかす罪よりは、
有為有徳の士から国史に名を留める機会を奪い逃亡者の身へ貶める過ちのほうがよほど重いわ」




侮蔑のことばを一息に叩きつけてやると、アランはやや気が軽くなったように感じた。
しかし溜飲が下がったように思えぬのはなぜだろう。
むしろ心のどこか別の部分が重くなってきたようにも感じる。




ここまでいえばあの傲慢な王女のことだから短剣を振りかざして向かってきてもおかしくないと思ったが、
彼女は床から立ち上がらなかった。ただ同じ一点を見つめている。
許してください、とつぶやく声が聞こえた。
空耳かと思ったが、もう一度同じ声を聞いた。
許しを乞うたのはたしかに彼女だった。




―――ああそうか、とアランは気がついた。
自分でも意外なほど静かな声がこぼれ落ちた。
「その男が、そなたの世界の中心だったのだな」
エレノールはゆっくりと両手で顔を覆った。
燭台の火は早くも消えかけていた。




 * * * * * * * * * * * * * * * 




朝を告げる鐘の音が王宮の外れから響いてくる。
従僕たちが朝の用意一式をもって部屋を訪れる前に、アランはいつもどおり早々と目が覚めた。
いや、いつもと違うことがいくつかあった。
久しぶりに妃の寝所にいる。
何か聞きなれない香りが枕元に漂っている。
そして腕の中には昨晩まで指を触れたこともなかった女がいた。
(なぜあんなことをしたのだろう)
アランは自分でも不思議な気がしていた。
あのとき、彼は寝室をあとにすることもできたのに、結局泣き崩れるエレノールを抱き上げて寝台に運び、
その華奢な身体を子守のように腕に抱いて眠りにつかせたのだった。
腕の中の妻の寝顔をそっと眺める。
朝日に照らし出された彼女はどれほど間近で見ても麗しかったが、
あの黒い瞳が覆われてしまっているのはつくづく残念だとアランは思った。




ふとその瞳に再会することができた。
しかしそれは大きく見開かれたまま固まっている。
そういえば何を話せばいいだろう、とアランは少し困った。




「おはよう」
「お―――おはようございます」
ふたりとも黙っている。
「ひとつ訊きたいのだが」
「何でしょう」
「これは何の香りだ」
「白檀ですわ」
「話には聞いていたが、これがそうか。そなた愛用しているのか」
「ええ。わが国では一般的です」
「そうか」
そう言って彼はエレノールの黒髪に顔をうずめ、その匂いをさらにかごうとした。
あまりに自然にやってのけられたので彼女は押しのけることもできなかった。
きっとずいぶん女慣れしているにちがいないと思ったが、不快ではなかった。
「いい匂いだ」
「それは、―――ようございました」
緊張でこわばったような声にアランは思わず笑う。
生娘だというのは本当だな、と彼は思った。




「褒められたら礼を言うものだ」
ですが、と言おうとする妻を制し、彼女の唇を奪った。
婚礼の祭壇で交わしたとき以来初めての接吻といえる。
思っても見ないほど優しい感触に、エレノールは全身の緊張が徐々にほどけていくのを感じていた。
このままなかに進入されるのかと思ったが、そうなる前にアランは顔を離した。
しかし彼女の瞳を長い間見つめている。
「そなたに触れるぞ。あの短剣はもう捨てろ」
一方的で高圧的な命令だった。
なんという男だろう、とエレノールは思ったが、もはや抗弁はしなかった。




妻の沈黙を同意だと見なし、アランは濡れたその紅唇にもういちど触れた。
今度は遠慮なく舌で唇をこじあけ、無防備なその内側と柔らかい舌をじっくりと嬲ってやる。
かつての恋人もここまではしなかった。
巧妙すぎる愛撫にエレノールは早くも息が乱れ始めていたが、
アランは唇を離さないまま片手で彼女の頭を抱き、片手で腰帯を難なく解きはじめる。
留め具の多い肌着さえ片手だけで脱がされていくのを感じて、
エレノールはその手馴れぶりにやや腹がたつほどだった。
妻の寝衣をすっかり脱がせてしまうと、彼は掛け布団を払いのけてその裸形をよく見ようとした。




「だめです」
エレノールが真っ赤な顔で抗う。
「夫に隠し事をするな」
「隠し事なものですか。せめてカーテンを引いてくださいませ」
「つまらぬではないか」
何がつまらぬものですか、と彼女が言いかけたとき、ふいに部屋の反対側の扉が開きかけた。
ノックをしていたのだろうが聞こえなかったのだ。
こんな時間に堂々とやってきて、しかも衛兵に見逃してもらえるのはあいつしかいない、
とアランは直感した。




「アランにいさま、おはようございます。
 おへやにいないからさがしたんだけど、やっぱりここだったんだね」
元気な声が枕元に届いたときにはエレノールはすっかり身を隠していた。
この娘は六歳の子どもにさえ肌をさらしたくないのか、と思うとアランは可笑しかったが、
同時にひどくいとおしくもあった。
口角が上がりそうになるのを抑えながら、
足元のほうに丸まった掛け布団を一瞥し、それからオーギュストを見た。




「早いな。どうしたんだ」
「あのね、さっききゅうしゃへお馬を見に行くとちゅうで、よつばをみつけたの。これ」
「それはよかったな」
そのために睦言が阻止されたのかと思うと、どうも不幸をもたらす四葉に見えなくもない。
「これ、にいさまからエレノールねえさまにあげてよ」
「どうしてだ。おまえが見つけたのだから自分のものにすればいい」
「でもぼくもうしあわせになったんだ。これをみつけたときすごくうれしかったもの。
 ねえさまよろこんでくれるかな」
「たぶんな。でもなぜ俺からエレノールに渡すんだ」
「だってねえさまは花嫁さまでしょう。花嫁さまはみんなしあわせなんだって、ばあやがいってた。
でもねえさまはあんまりしあわせそうじゃないから、これがあると花嫁さまらしいでしょ。
それに、にいさまからこれをもらったら、ねえさまもっとしあわせなきもちになるよ」




オーギュストは小さな手を開いて兄の掌にクローバーを置いた。
強く握られすぎたためか、茎はややしなびかけている。
窓から差し込む朝日が裏側の葉脈をくっきりと浮かび上がらせ、葉の全体をいっそう鮮やかな緑に染め上げた。
アランは黙ってそれを眺めていた。




用件を終えた弟王子は帰ろうとしかけたが、ふいに寝台の上の塊に目を留めた。
「にいさま、あれはなに」
「羽根布団だ。丸めてある」
「うそ。おふとんは丸めてもあんなかたちにならないよ。もっとひらたくなる」
妙なところで洞察力のはたらくやつだと思いながら、
恥ずかしがって身を硬くしている妻のことを慮って、兄は適当な言い訳を考えていた。
「あれはだな、つまり―――」
「わかった。卵をかえしてるんだね」
エウレカ!と叫びだしそうな顔でオーギュストが言った。
「だからにいさまは裸なんだ」
アランはことばに詰まった。
どこからそういう論理が出てくるのか分からないが、
しかし弟のなかでは辻褄が合っているのだとしたら便乗するに越したことはなさそうだ、と見当をつけた。




「よく分かったな」
褒めてやる、といわんばかりの落ち着いた声でアランは答える。
「すごいなあ、にいさま」
心底感心したような顔でオーギュストは兄の寝起き姿を眺め、
彼の足元に丸まっている羽根布団を眺めた。
それから突然靴を脱ぎ始める。
「ぼくも卵をかえしたい」
わくわくしたような顔で寝台に上がってこようとする末弟をアランは急いで押し留めた。
「だめだ」
「どうして」
「卵を孵せるのは大人だけなんだ。鶏を見てみろ」
「そうか」
残念そうではあったが、オーギュストは聞き分けよく寝台から降りた。
「卵がかえったらぼくにさいしょにおしえてね。はやくかえらないかな。
 ―――ああ、そうか。だからにいさまはときどき他のひとといっしょに裸でいるんだね」
オーギュストはふたたびエウレカ!の顔になった。




(おまえ何もこんな時に)
アランはかすかに口元をこわばらせるが、むろん気づかれるはずもない。
彼の足元の塊がほんの一瞬ぴくっとする。
「いつもは女のひとが一人だけど、このあいだの朝は二人の女のひとといっしょにいたよね。
あのひとたち、ぼくを見てびっくりしてたけど卵をかくしたかったのかな。
ぼく、とったりしないのに。
 そのまえはにいさまのおともだちが―――ええとだれだっけ―――
ボーアルネ公爵家のおねえさんとヴァロワ伯爵家のおにいさんがにいさまのとなりでねむってたよね。
 やっぱり一人より二人、二人より三人であたためれば卵もはやくかえるんだ。
ぼくおもいつかなかったよ。
にいさまはほんとうにあたまがいいなあ」
そりゃおまえの年で思いついたら大問題だ、とアランは思いつつ、
足元の布団がぴくぴく震えているのを横目で見守っている。




「いいなあ。
ぼくもおとなになったらおともだちをたくさんベッドに呼んで、いっぱい卵をかえそう」
「それでこそ男だ」
引き寄せて髪をぐしゃぐしゃしてやりたかったが、丸めた布団のことが気になるのでそれは控えておいた。
「―――だがまあ、相方はひとりにしておけ。そのほうが無難だ」
「ブナンって?」
「卵が割れにくいとか、卵をめぐって喧嘩別れしないとか、そういうことだ」
「そうか。あんまりたくさんいるとだめになっちゃうかもしれないよね。
 ひとりしかだめなんだ。ぼくはだれと卵をかえそうかな」
オーギュストは神妙な顔で考え込んだ。
とりあえずこいつをどうやって追い帰そうか、とアランもそのあいだに考えている。




「ぼく、くまさんがいいな。大きくて毛がふわふわしててあったかいでしょ。
いっしょのおふとんにはいったら、きっとすごくきもちいいよ。
それにぼくの髪や目の色はくまさんと同じ茶色だから、すぐおともだちになってくれるよ」
「そうだな。くまさんに来てもらうといい。そのためには蜂蜜を今から貯えておけ」
「はちみつ?そうだ、もう朝ごはんだね。ぼくいかなきゃ。
にいさまはねえさまといっしょにたべるんだよね」
「ああ。早く行って来い」
「じゃあね、卵がかえったらぼくにいちばんにおしえてね。
 ねえさまによつばをあげるのもわすれないで」




うれしそうな足取りで末弟が去ってしまうとアランはしばらくそのままの姿勢で座っていたが、
やがて羽根布団に手をかけた。
中身をそっくり剥き出そうとするもエレノールはそんなことは許さず、
布団にくるまるような形で肩から下を覆ったまま夫に再会した。
さきほどは盛夏のような情熱を宿らせかけていた黒い瞳もいまや零下三十度ほどの冷ややかさで彼を見ている。
「三人で卵を孵すというのは、ずいぶん楽しそうですこと」
「まあな―――いやそんなことはない。というかあれはきわめて例外的だ」
「そのわりには弟君の目に二度も留まったようですわね」
「偶然だ」
「―――恥を知るべきはあなたのほうです」
顔を赤らめたまま、エレノールはぴしゃりと言った。
いつもならこんな物言いをされればアランは相手が重臣でも黙らせているところだが、
今はべつに腹も立たなかった。




「まあな。悪かった」
「まったくです」
それからまたふたりは黙りこんだ。
「それで、どうなさるのです」
「何がだ」
「わたくしと、卵を孵す気はおありなのですか」
アランが目を上げて見ると、彼女は布団の中で縮こまらんばかりに緊張し、
耳まで赤くしながら夫の答えを待っていた。
もちろんあるとも、と答えるかわりに今度は本気で布団を剥いで、
その初々しい肉体をシーツの上に仰向けにした。




そっとくちづけすると、いまだ男を知らぬ身体が震えを押し隠しているのが伝わってくる。
「恐ろしいか」
「いいえ」
寝台では似つかわしくないほど気丈な声がかえって内心の不安を映し出している。
アランは初めて彼女をいじらしいと思った。
「力を抜け。乱暴にはしない」
「心配などしておりません」
緊張でこわばった声に王太子の口元も思わず緩み、ふたたび唇を重ねる。
舌で彼女の内奥をさぐりながら、手で乳房を揉みほぐしていく。
こぶりながら形はよいと思った。
桃色の乳首を集中的に弄りながら、この気位の高い王女はどんな喘ぎを漏らすのだろう、
と思って顔を離してみたが、彼女は決して声を上げない。
拍子抜けした気分である。




「唇をかみしめるな。声を聞かせよ」
「……」
エレノールはむろん従わず、夫の巧妙な愛撫を受け入れながらも口はかたく閉ざしていた。
(やはり強情な女だ)
あらためてそう思ったものの、以前のように不快には感じなかった。
むしろその頑なさを屈服させる楽しみができたというべきか。




妻の柔らかい耳たぶや小さな顎やほっそりとした首筋を優しく噛むようにしながら、
彼の顔はゆっくり乳房へと降りていった。
初々しい桃色の乳暈を舌先でそっと円を書くように嬲ってやると、
エレノールの身体は子兎のようにぴくんと震えた。
やはりここは弱いようだ、と満足しつつ、アランは舌と唇をさらに自在に使っていく。
ほとんど男を知らないはずの乳首はみるみるうちに硬くなり、
もっと吸ってほしいとばかりに上を向いて存在を主張しはじめる。
責めどころが分かりやすい身体だな、と彼には好ましく思われる。




「……あっ……」
ようやくエレノールの口から喘ぎとも呻きともつかない押し殺したような声が漏れた。
アランはむろん聞き逃さなかった。
「よかったか」
「…………」
「どうなんだ」
「……あっ、だめ、そこは……っ」
下腹部に夫の手が忍んできたのを知って、エレノールはさすがに口をつぐんではいられなくなる。
その指先は薄い茂みをそっと梳いてすぐ花園に至るかと思われたが、
そうではなく、太腿のほうまで降りていった。
触れるか触れないかという節度を保ちながら、
生まれてからいちども日に晒したことがないであろう膝からデルタまでの内腿をゆっくり往復しはじめる。
最も秘すべきところに触れられるのは逃れたのでエレノールは最初ほっとしたが、
じきにそうも思えなくなった。
彼女自身、自分の太腿の内側がこれほど敏感だとは知らなかったのだろう。
どうして、と言いたげな表情をしながら吐息をこらえようとしている。
アランの思ったとおり控えめな摩擦は処女の肉体をほぐすにはかえって効果的で、
焦らすように内腿をさぐればさぐるほど、妻の脚からは力が抜けていった。
今なら思い切り開かせても抗われることはないだろう。




「い、いやあ……っ」
アランが膝頭に手をかけたのを感じてエレノールはやや正気に戻り、
なんとか足を閉じようとするがむろん彼の力にはかなわない。
朝日の差し込む寝台の上で、姫君の秘肉は夫の眼前にあらわになった。
薄紅色の花弁はうっすらと蜜をまとって光沢を放ち、
その中央には彼女の意思とは裏腹に焦らしに耐えかねたつぼみがふくらみつつあり、
まるで早く夫に見出されじかに摘んでもらいたがっているかのような様相を呈していた。




「やめて、見ないで……!」
エレノールが限界まで赤面しつつその無遠慮な顔を押しのけようとすると、
両腕は彼の片手ですぐに押さえつけられてしまい、
かえって両者の力関係をはっきりさせる結果に終わってしまった。
「お願い、お願いです……見ないで……」
「もう遅い。すべてさらされている」
「ひどい……こんなことをなさるなんて……」
「見られるのは初めてか」
「もちろんです」
何を馬鹿な、といいたげにエレノールは答えた。
声には嗚咽が混じっていながらも態度は毅然としていることに、アランはふたたび満足をおぼえた。
これぐらい誇り高くあってこそわが妃だ、という思いと、
この矜持をどうやって剥ぎとり乱れさせてやるか、という期待とが心中で交錯する。




「綺麗だ。何も恥じることはない」
「……」
「もっとも、処女の身ですでにこれだけ濡れているのは恥じてもよいかもしれん」
エレノールは聞こえないふりをして真っ赤な顔を背けたが、ふいに彼の長い指が忍んできたのを感じ、
快感というよりは驚愕のために全身でびくっとする。
初々しいことだ、と思いながらアランは花びらを周辺からなぞりはじめ、露骨に蜜の音をたててやる。
「己が男を欲しがっている音が聞こえるか」
「いやあっ……やめ……やあんっ」
「つぼみもすっかりふくらんでいるな。俺の指は無用なほどだ」
エレノールは唇を噛みながら夫をにらみつけているが、そのことばは事実なのでどうしようもない。
親指で小刻みにこすられつづけると、下肢からはますます力が抜けていく。
「や、やめ……やめて……あぁ……っ」
アランの指はとうとう割れ目に忍び入った。
人差し指一本でもきついというところであり、なかで動かすのはむずかしい。
しかしエレノールの反応は敏感だった。
夫の指を愛液にひたしつくしながら、腰を浮かさんばかりにして快楽に耐えている。




(生娘のくせに)
純潔を保持していながらもこの肌はかつて他の男にまさぐられ、
ある程度まで肉の歓びを教えられているのだ。
そう思うとアランははげしく嫉妬する一方、異常な興奮をおぼえざるを得なかった。
(どこまで教え込まれた)
身をよじって責めを逃れようとする妻に内心で問えば問うほど、彼の愛撫は執拗になっていく。
尖って上を向いたままの乳首を吸いながら片手は秘奥にまわし、
敏感すぎるつぼみと割れ目を巧妙な指先で同時になぶりつづける。
「……もう、許して……」
とうとうエレノールが涙まじりにそう懇願したとき、アラン自身もそろそろ限界にさしかかっていた。
常ながら一方的に宣言する。




「今から挿れる。力を抜け」
「えっ、や……あああっ!」
十分濡れていたとはいえ、ゆっくり進入してきた男の硬さと太さはやはり処女には耐え難いものがあった。
アランは細心の注意を払いつつ分け入っているものの、
その残酷なほどの狭さと温かさと潤いにどうかすると理性を失いそうになってしまう。
しかし妻がはしたない悲鳴をあげまいと唇を噛んで堪えているのを見たとき、
彼の情動はかえって落ち着き、この娘を二度と傷つけまいと思った。
締め付けに抗いながら最深奥までようやく到達すると、その快感を惜しみつつも動くのを止めた。
エレノールの眉間からやや苦痛が去ったように見える。
ひとつに結ばれているという実感が急速に沸いてきた。




「痛むか。すまない」
「いいえ」
まさか自分の花芯を貫いているさなかに
この倣岸不遜な王子の口から謝罪のことばが出るとは思わなかったので、
エレノールは目を見開いて彼の顔を見上げる。
「どうした」
「何も」
「思い出すか」
「何をでございます」
「前の男だ」
「―――いいえ」
「忘れろとはいわん」
エレノールは目を伏せて黙った。
こんなに睫毛が長かったのか、とアランは妙なところで感心した。
やがて紅唇がふたたびひらく。
「あなたが、わたくしの記憶を満たしてください。  他に何者も立ち入れなくなるまで」
エレノールは瞳を上げた。
その深い黒には彼自身の姿が克明に映し出されている。
やはり忘れられないのだ、と彼は思った。
かまわん、待つことにしよう。
心中で自分に語りかけながら、黙って妻に接吻した。




「そろそろ動かす。もっと力を抜け」
(この方はどうしてこうも断定的な通告ばかり好まれるのかしら)
エレノールはやや呆れつつも、はい、という代わりに小さくうなずいた。
先ほどは鎮まりつつあった痛みがまたよみがえってくる。
しかし今度はどこか甘美な痺れが混じってもいた。
彼女の愁眉は開かなかったが、唇は徐々に開き始めた。
最初はうめきに過ぎなかったのが、だんだんとアランの耳朶にまとわりつくような喘ぎに変わっていく。
彼の往復が重なれば重なるほどほどエレノールの花園はあられもない蜜音を響かせて歓迎する。




ついには腰が浮き、その肉襞は自分の意思をもつかのように
彼自身をとらえて放さぬほど締めつけてきた。
荒ぶる息をこらえながらアランはささやきかける。
「そなたの身体は信じがたいほど貪欲だ。けがれなき姫君とは思えん」
「わ、わたくしは……殿方をお迎えするのは、初めてです……どうか、信じて……」
「その点は信じる。何にせよ、この痴態を見せる相手が俺だけならば、それでいい」
「……もちろん、です……」
陶酔と羞恥と苦痛が融けあっているかのような表情で彼女は夫を見つめた。
アランの最後のたがを外し、絶頂に追い立てるにはそのまなざしだけで十分だった。




そして抽送は小刻みになり、意識はある一点に向かって収束していく。
「あっ、だめ、そんな、激しく、  …………やああっ……あああああっ」
自制できなくなったエレノールに心ゆくまで嬌声を上げさせながら、彼はついにその深奥で果てた。
長い振動が収まって妻の身体の上に倒れこむと、彼は無意識にその華奢な身体を抱き寄せる。
十四で女を知って以来、そんなことをするのは初めてだった。
アラン、という声が耳元で聞こえた。
(初めて俺の名を呼んだな)
混濁する意識の中でそんなことを考えていると、さらに声が聞こえてきた。
温かい、と彼女はつぶやいていた。




 * * * * * * * * * * * * * * * 




「もうすぐおいでになるころですね」
エレノールが葡萄の皮をむきながらアランにいう。
そして彼の口まで丸い果肉をはこんでやる。
その指先をたわむれに噛んでみると、もう、という顔をしてみせながら、また別の葡萄をむきはじめる。
まだふくらみが目立たないその腹部には彼の三人目の子どもを宿している。
母后には結局、最初の孫を見せることはかなわなかった。
しかし逝去の数日前にふたりで見舞いに訪れたとき、
彼女は息子夫婦の顔を見交わして、ようやく安堵を得たようだった。




妻の手元を見ながら、つくづく妙な女だ、とアランは思う。
結婚して半年後、ようやくエレノールを事実上の妻にしたその朝、
寝台から降りた彼女が最初にしたのは夫の髪を梳かすことだった。
あとで従僕がしてくれる、といっても妻は聞かなかった。
突然新婚らしい気分になったのだろう、まあじきに飽きるはずだ、とアランは思ったが、 彼女はその後も夫の身の回りの世話にいそしむことをやめなかった。
あるとき、そなたの生国ではこれも妃たる者の務めなのか、と尋ねてみたが
「好きでしていることでございます」
と簡潔に答えるだけだった。




そして十年たった今でも夫やふたりの子どもたちに手ずから果物をむいてやっている。
これほど情がこまやかに深く持続する女はそうそういないことを、アランはもう分かっている。
世の人が妻の同国人の気風を形容する際つねに用いる「情熱的な」ということばは
一見エレノールにはあてはまらない気もするが、
彼女の情熱は静かに控えめに、そして永く燻りつづける類のものなのだ。
(こんなことは侍女に任せればよい)
そう思いながらも、彼は結局エレノールのこまやかな気遣いを拒まず、
いまも口に葡萄を運んでもらっている。




今日の昼餐には末弟夫婦を招いている。
蜜月と呼ばれる時期はとうに過ぎているにもかかわらず、彼らはいつ見ても睦まじげに暮らしていた。
ただその想いあう様子がいかにも童男童女然としているので、
あいつは北国から迎えた妃を未だに
「ふわふわしてあったかくてきもちいいくまさん」として遇しているのではあるまいな、
と疑わしくなってしまうほどである。
しかし彼らが寝台の上でほかに何をするでもなくひたすら互いを抱きしめあっている姿を想像すると、
なんとなく愉快な気分にならないでもない。




「あれらはちゃんと、卵を孵していると思うか」
「卵がどうなさいました」
「いや、なんでもない」




それからあの朝の四葉を思い出した。
夫の腕に抱かれてけだるく横たわりながら、
エレノールは枕元に置いてあるクローバーを見つけたのだった。
「いただいてもよろしいでしょうか」
「かまわんが、引き換えに俺の―――」
「弟君との約束はお守りください」
そう言ってふてぶてしい夫から強引に譲り受けると、
彼女はそれを唇にちかづけて何事かを祈り、髪に差し込んだ。




それから後はどうなったのかアランは気にも留めなかったが、
先日妻の宝石箱のひとつが化粧台の上で開いていたのでなんとなく覗いてみると、
すっかり茶色くなった四葉がそこにしまってあった。
よくもまあとっておいたものだ、とアランはやや呆れながらそれを指先でなぞってみた。
ぱさぱさに乾いたクローバーはだいぶ脆そうだったが、それでも葉が欠けたりはしなかった。




ふたたびエレノールのほっそりした指で葡萄を口に含ませられながら、
しあわせはイジョウなんだ、とつぶやいていた末弟の幼くも神妙な顔を思い出した。
やはりひとつの真理にはちがいない。
けれど、それはいちど見つけたら案外いつまでも居座るものだ、ということも今ではよく分かっていた。




(終)




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