草刈の月 三日 晴れ


日暮れ方、マルーシャ様ご夫妻の書斎から中庭を横切って通用門へと通じる石畳の道を歩いていたとき、
ふいに傍らの茂みの向こうから声が聞こえてきた。
緑溢れ過ごしやすいこのあたりで人が立ち話をしていることなど珍しくもないが、
つい立ち止まってしまったのは、彼らの声に聞き覚えがあり、
かつわが名が口にのぼせられたからである。
樹陰にて耳を傾けているうちに、まもなくそれぞれの声の主が判明した。
ひとりはわたくしに寄せる好意をいいことに日ごろ顎で使役している無理を聞いていただいているニコラ殿であり、
もうひとりはその親友のフェルナン殿であった。

彼らはともにオーギュスト殿下の護衛を勤めており、所属から言えば宮中随一の精鋭揃いと名高い白獅子騎士団団員であるが、
実は国王の御前にて騎士に叙される前から同郷の幼馴染として兄弟のように育ってきたのだという。
父祖代々伝えられてきた領地さえ隣接しているということだ。
フェルナン殿のことを語るときの二コラ殿の手放しでうれしそうな表情を見る限り、
兄弟という形容は決して誇張ではあるまいと思われる。
いままでのところフェルナン殿とわたくしは宮中での顔見知りという程度の仲であり、
それを遺憾に思うニコラ殿は大親友とわたくしとを大いに引き合わせたがっているが、
いちどそれを受け入れると今度は同郷の友人一同やら洗礼親やら最後は父母兄弟にまで正式に紹介される恐れがあるので、
そのつど理由を設けては当該状況をひとえに避けてきた次第である。

ニコラ殿の交友関係については個人的にとりたてて思うところはないのだが、
最近同僚の侍女たちのなかには彼とわたくしがあらたまった交際をしていると誤解する向きがあるためか、
彼の私生活をわたくしから聞き出したがったり、またわたくしが尋ねてもいない個人情報を喜びいさんで提供してくれる人々がいる。
彼女たちによれば、ニコラ殿およびフェルナン殿の郷里ブルゴニア地方は単に葡萄酒の名産地であるだけでなく
古来より美男美女を多く輩出することでも名高いらしく、
このふたりの騎士は典型的なブルゴニア風美男子だそうである。
ニコラ殿の同郷人というだけあってフェルナン殿も肌の色は健康的に浅黒いが、
髪の色は彼よりもさらに混じり気のない漆黒、一方で虹彩は南国人としては珍しいほど明るい淡青色である。
そして栄誉ある白獅子騎士団員の例に漏れず、日ごろの厳しい鍛錬により堂々たる体躯を保ち、
ニコラ殿と並んでも全く遜色ない長身を誇っている。

外国人であるわたくしにはこの国の人々の容貌はどうしてもみな同系統に見えてしまうのだが、
同僚の侍女たちが目を輝かせて語るところによれば、
「二コラ殿が颯爽たる牡鹿なら、フェルナン殿は豪放な駿馬」ということらしい。やはり同じに思える。
だが彼女たちの上気した頬から察するに、彼らは分かちがたい一対の貴公子として
宮仕えの婦人たちの間ではとりわけ人気を博しているようである。
普通に暮らしている分にはその片割れのぼんくらぶりに触れる機会がないためかもしれない。

「だから言っているだろう。
 俺は今まで何度となくおまえの惚れっぽさを諌めてきたが、あの女だけは本当にやめておけ」
茂みの向こうでフェルナン殿の声が急に強く響いた。
「だがフェルナン、君はアンヌ嬢と日ごろ接点らしき接点がないじゃないか。
 彼女についてほとんど何も知らないに等しいだろう」
「接点があろうがあるまいが、外からの観察と周囲からの評価とおまえの熱く語るところを総合すればおおむね分かる。
 まずあのアンヌという女は仏頂面だが見目はいい」
「人形のような面立ちと言ってほしいが、そのとおりだ」
「立ち居振る舞いも品があり、俺たちの言語、つまり彼女にとっての外国語で話しているのにことばづかいに全く乱れがない。
 きちんとした家できちんとした躾と教育を受けて育ってきた証だ」
「まさしく」
「そしてマリー妃殿下から常に全幅の信頼を寄せられるほど聡明で忠節だ」
「全くそのとおりだ。なんだフェルナン、よく分かっているではないか。
 アンヌ嬢の美質をこれだけ的確に把握しておいてなぜそうも反対するのだ」
「そこだ。それだけ長所のある女がなぜいまだに独り身だと思う。
 もう十九になるというだろう。どこの国の人間だろうが立派な嫁き遅れだ」

最後の単語を耳にした瞬間、頬が引きつるのを感じた。
嫁き遅れ。いきおくれ。イキオクレ。
洞窟内の反響のように脳裏にてその語が自動的に反芻される。
マルーシャ様のご相談役を務める身にはいついかなるときでも心の平静が求められるというのに、不覚であった。
そう、これしきの言辞で撹乱されるなどあってはならないことだ。だがもう大丈夫。大丈夫だ。
一瞬の不覚は所詮一瞬の不覚である。
そもそもわたくしは寛恕の人を以て自ら任じている。
一度や二度誹謗を呈せられたぐらいで怨恨をいだく小人とは根本からちがうのである。

「フェルナン、その言い方はあまりにも非礼というものだ。撤回してくれ」
「いいや撤回しない。嫁き遅れには嫁き遅れるだけの確固とした理由があるんだ。
 殊にあの女の場合は歴然としている。いいか」

……どうやら、フェルナン殿は計三回口走ったようである。
舌の根も乾かぬうちに後悔させてやろうではないか。 かの騎士はごく事務的な口調であとをつづけた。
「あの女は頭がいい。それはたしかだ。
 だがそれは利用できる人間なら誰でも利用してやろうという賢さだ。
 マリー妃殿下の御身のためならな」
「だがわれわれとて、主君のためなら通常の価値判断を棄てねばならぬこともあるではないか。
 彼女の行動原則は騎士道精神に比して悖るところはあるまい」

「あのなあ、二コラ」
重々しい訓戒の響きを帯びていたフェルナン殿の声がここで急に弛緩し、
おまえのめでたさにはつくづくことばもないと言わんばかりの口調になった。
「仮にも騎士道を奉ずる者が自分に惚れている人間に対して『ありがたく顎で使わせてもらう』などと口にするか?
 いやこの際騎士道云々は措くとしても、どこの女が堂々とそんなことを告げるんだ。
 向日葵の茎なみに図太い神経をしているとしか思えん」
「だが少なくともアンヌ嬢は誠実だ。
 表面ではどれだけ淑やかで貞節な態度を装っていても、
 裏では女友達と語り合って求愛者を笑い者にする婦人が世の中にはいかに多いことか」
ニコラ殿は実に感慨を込めて熱く語った。
フェルナン殿はといえば、朋輩の星の数ほどある古傷に触れることを慮ってか、このときだけは何も反駁しなかった。
案外根は友人思いの善良な気質なのかもしれない。

「―――まあ、それはともかくだ。
 骨まで利用してやると宣告されてから利用されるのと、騙されながら利用されるのと、
 結果から言えば何ら違いはないだろう。
 おまえがどれほど彼女に誠意を尽くそうと、想いが報われる可能性は限りなく低い。
 単に肉の契りに応じるか否かという話ではなくてな。
 肉体といえば、あの手の女は目的を達成するためなら随時誰にでも近づいて戦略的に身体をひらくものだ。
 自らの恋情に揺り動かされてやむにやまれず、などという可愛い動機など微塵もいだかずにな」

「う……」
二コラ殿はここで初めて口ごもった。
この間わたくしの部屋に招かれた日の次第についてはおそらく誰にも話してはいないことであろうが、
それでいて友人が実に的確な洞察を披露してくることに動揺しているようだった。
そんな彼のようすを見てこの機を逃すまいと思ったか、フェルナン殿はすかさずつづけた。
「言いがかりだと思うか?
 あの常に落ち着き払った態度を見てみろ。
 誰に応対するときでも泰然としすぎているだろう。あんな生娘がいるか。
 あれは絶対に男を知り抜いている女の物腰だ。
 愛敬も可愛げもない、未婚の身でありながら純潔も保っていない、
 知性と冷淡さばかりが極端に肥大した女に懸想してどうするつもりだおまえは」
「純潔であろうがなかろうが、今はもうかまわない」
むきになったような声が茂みの向こうに鋭く響いた。
「ご婦人の処女性はむろん大切なものだが、―――比類なきほど大切なものだが、
 だがアンヌ嬢はその有無など論じる必要を感じさせないほどの独自の美質をおもちなのだ。
 すなわち、真実と公正を重んじ自ら実行するということだ。
 それは一般のご婦人がたのうちには見出せそうでめったに見出せないものだ。
 まさにふたりといない誉れ高き淑女ではないか」
「あの手の女が何人もいてみろ、世の男は残らず生殖意欲を失うぞ」

このときちょうど王宮のはずれから三刻を知らせる鐘が響き渡り、
ふたりの騎士は話をつづけながら歩き始めたので以後の発言はわたくしには聞き取れなくなった。
彼らが選んだ道からすると、オーギュスト殿下が学舎からお帰りになるのを機に
他の護衛と当直を交代することになっていたのであろう。
騎士たちが去ったあともわたくしはしばらくその場にとどまっていた。
緑陰の恩恵にあずかっているとはいえ、乾ききった空気はあいかわらず埃っぽかった。

目的のためなら利用できる人間は誰でも利用する女、か。
わが足はようやく宮室へと踵を返した。
もう半時ほどすればマルーシャ様はエレノール妃殿下のご居室をお訪ねすることになっているので、
御髪を念入りに整えて差し上げねばと思い出したのだ。
早足で廊下を歩きながら、わたくしはさきほどのことばをふたたび反芻した。
そして、そのご洞察の正しさを身を以て教えて差し上げようではないかと思った。




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草刈の月 六日 晴れ


朝方、日が昇ってはいてもまだ空気に涼しさが残る頃合、勤務に就こうとしていた二コラ殿のもとに立ち寄り、
「お時間は取らせませぬから」とことわって人気のない書庫に誘い出した。
「アンヌ嬢、お話とは」
わたくしが表情をいつになく暗く沈ませているので、
二コラ殿の声もいつもの能天気さもとい朗らかさを失ったかのように緊張感と不安を孕んでいるようであった。
悪くない兆候だ、とわたくしは思った。

「ご多忙な朝の時間だというのにわざわざこんなところまでお呼び立てして申し訳ありません。
 でもわたくし、どうしてもあなたのお耳に入れておきたいことがあって」
「いかがされた、アンヌ嬢」
動揺した勢いが余ってかどさくさに紛れてか、二コラ殿はわたくしの右手を両手で包むように握ってきた。
いつもなら即刻振り払っているところだが、今日だけはわが遠謀の実現を図らんがため看過することにした。

「あなたがかねてからわたくしにご紹介くださろうとしていた、ご同僚の騎士フェルナン殿のことなのですが」
「おお、わが親友が何か?」
「最近、あのかたに遠くからじっと見つめられている気がいたしますの。
 もちろんお顔を合わせること自体さほど頻繁ではないのだけれど、
 廊下などで視線を感じて振り向くと、背の高い人影がさっと柱の陰に隠れて、
 その輪郭や髪の色がどうも、あのかたのような気がするのです。
 むろんフェルナン殿はオーギュスト殿下からのご信任も厚く宮中に声望高い品行方正な紳士であられますし、
 その稀な美貌でもって行く先々で貴婦人がたの心を虜にせずにはおかないほどのかたですから、
 わたくしのような微賎の女にご関心をお持ちのはずはないと分かっているのですけれど、
 でもどうしてもそんな気がしてしまって。
 二コラ殿、あなたは常々わたくしの身辺を気遣ってくださいますし、フェルナン殿ともご交友が長いとうかがっております。
 それゆえに、ご迷惑とは存じ上げながらも本日こうしてお願い申し上げようと思い立ちましたの。
 どうか、あのかたが本当にわたくしに想いをかけておいでなのか、この身に代わってお尋ねしていただけないかしら。
 もちろん、わたくしの自意識過剰さゆえであろうことは承知しているのですけれど」

できるだけ物憂げな気配が伝わるようにと心を砕きながら、わたくしはここで小さくため息をついた。
伏せていたまなざしを少しだけ上げて二コラ殿を見やると、
彼は愕然とした面持ちで何かをいいかけては呑み込むという動作を繰り返していた。
「―――い、いやアンヌ嬢、言われてみれば私にも思い当たることがある。
 そうか、フェルナンがあんなに反対したのは自身も懸想していたからだったのか……!
 いや、だが、あのフェルナンが、彼がそんな回りくどい、男らしくない手管を用いるだろうか……
 いやいや、恋は人を狂わせるものだからな……む……よし」

しばらく独白を続けていたかと思うと、二コラ殿は突然腹をくくったような思いつめた顔でわたくしを見つめてきた。
「承知した、アンヌ嬢。すぐにでもフェルナンを呼び出して問い詰めてみようと思う。
 早ければ本日正午にでもお返事できると思うのだが」
「無体なお願いにもかかわらず温かいお返事、誠にありがとう存じます。
 でもお昼までというのは少し急すぎるのではないかしら。
 フェルナン殿もご勤務や剣術の稽古などご都合があるでしょうし。
 今夜十刻ごろおふたりで落ち合われるというのはいかがかしら。
 そのころにはあなたがたはそろってお勤めを終えられているはず」
「おお、いかにも。さすがはアンヌ嬢だ。
 では今夜更けてから彼の部屋を訪ね、ふたりきりで話をすることにしよう」

「お待ち下さい、二コラ殿。
 この暑い盛りですから室内では窓を開けぬわけには参らぬでしょう。
 まして勤務交代制のために夜でも人の出入りが多い騎士団の宿舎内ですから、
 たとえご自室でお話をしようとも使用人やご同輩に聞こえる恐れがありますわ。
 万が一そのような事態が出来いたしましたら、わたくしはとても宮中にいたたまれません」
「それもそうだ。わが短慮を許していただきたい。
 それではどこがふさわしいだろうか」
「中庭の東端にあるあずまやあたりがよろしいかと存じます。
 あの辺りはもとより人通りも限られておりますし、周囲には垣が巡らされておりますゆえ、
 宮室方面からの人目を忍ぶにも適しております」
「おお!実にそのとおりだ。さすがはアンヌ嬢。
 では今夜十刻ごろ、フェルナンをそこにいざなうことにしよう。
 ―――ああ。大変なごり惜しいことながら、そろそろ持ち場につかねば」

二コラ殿はそう言いつつも潔く踵を返して入り口の扉に手をかけた。
だがふと思い出したように動作を止め、首だけがゆっくりとこちらを振り向いた。
その顔には今まで以上に深刻な不安と焦燥の色が見て取れた。
「―――ひとつ、伺いたいのだが」
「何でしょう」
「万が一、仮に、もしフェルナンが貴女を想っていることが事実とたしかめられたらいかがなされる、アンヌ嬢。
 今しがた貴女は、彼のことを大変好意的なことばで評されたように思うのだが、
 ……その、つまり、フェルナンにそのつもりがあれば、彼と交際したいという望みをおもちなのだろうか。
 不躾な問いだとは思うが、できればお聞かせ願いたい」
「交際?」

笑止、と鼻で笑いそうになるのを寸前で自制し、わたくしは急いで恥じらうように顔を伏せた。
あやうく本心が出るところであった。いけないいけない。
一瞬あとにごく神妙な表情をこしらえてから、仔兎のようにおずおずとためらいがちに彼の問いに答えた。
「何と申し上げたらいいのかしら。
 ―――わたくしも、自分の気持ちが分からないのです。
 今お答えできるのはこれだけですわ」

二コラ殿の端正な顔はいまや蒼白になり、息を深く呑み込んだかと思うとものも言わずに扉を開けて書庫を立ち去っていった。
わたくしとしてはここまで劇的な効果を期待していたわけではなく、
彼の今しがたの顔色を思うと少なからぬ罪悪感をおぼえたが、
今夜中にはことの次第が判明するのだからこの際耐えてもらおう、と最後には自らに言い聞かせた。
二コラ殿のはたらきで一切が成功裏に終わった暁には丁重な謝意を示すことにしよう。
第一段階がここにつつがなく終わったことを思い、思わず安堵の息がこぼれそうになった。
しかし放心するわけにはいかない。まだ協力を仰がねばならぬ方面が残っているのだ。
慣れない演技をしたせいか少し重く感じられてきた肩の筋肉をしばしほぐしてから、わたくしはひとり薄暗い書庫をあとにした。




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草刈の月 七日 晴れ、夕刻に短い雷雨


昨日はことの幕引きに夜半までかかってしまったので、
日付が変わってしまったがその顛末は本日記すことにする。

昨晩十刻をさかのぼること少し前、すべての手配をつつがなく終え、
中庭の東端にそびえる楡の木陰にすでに待機していたわたくしは、
若い男性二人の声と重々しい靴音が徐々に近づいてくるのを耳にして、いっそう注意深く太い幹の陰に身を寄せた。
彼らの目的地である円形の天蓋をもつあずまや付近は水底のように静まり返り、
そのがらんとした空間を取り巻く蔓薔薇の垣根の数々も、風を受けてきしみひとつ響かせるでもなかった。
花期が長い品種なのか、いまだ色鮮やかに花冠をほころばせている蔓薔薇たちでさえ、
葉擦れの音を奏で上げるのをためらうかのような風情があった。
完全なる静寂。完全なる静止。まさに至妙の舞台である。

「何もこんな遅くでなくてもよかろうに」
フェルナン殿の声が、楡の木の向こう側に伸びる石畳の道からはっきりと聞こえてきた。
あと一分もしないうちにここへ到着するだろう。
実際、彼らはまもなくあずまやの花崗岩製の長椅子に並んで腰を下ろした。
わたくしの立つ側からは彼らふたりの姿がほぼ正面から確認できる。

しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは二コラ殿のほうだった。
それはあたかも説教檀に昇る大司教のようにおごそかで、葬列を導く寡婦のように憂いを押し隠した声であった。
「就寝前に呼び出して誠に申し訳ないと思っている。
 だがフェルナン、どうしても今訊いておかねばならぬことがあるのだ。
 本当は、今朝すぐにでも君の持ち場に足を運んで、人前であろうとなかろうと問い詰めたい思いでいっぱいだった。
 これでもずいぶん我慢を重ねたのだ。察してくれ」
「一体何なんだ、おまえにしては迂遠な言い方じゃないか。
 この暑い盛りだというのに明日は降雪かもしれんな」
「冗談ごとではないのだ、フェルナン。私は本気だ。
 心から本気で案じている。
 ―――六年前、私が従士身分より騎士に叙任されたときのことを憶えているか。
 すでに白獅子騎士団団員の栄誉を得ていた君は、
 同輩とともに陛下の御前から退出してきた私を迎えてくれ、わがことのように喜び祝福してくれた。
 そしてそのあと、われわれは春風に揺れる菫の花々に見守られながら、
 互いの剣の柄を交差させ、天上にまします偉大なる主とわれらが陛下の御名において誓いを立てたのだった。
 すなわち、われらは無二の朋輩にして死を辞さぬ友、互いに誠を尽くせぬときは自ら白刃の上に倒れこまんと。
 憶えているか」

「なんだ、訊きたいのはそんなことか」
明らかに拍子抜けした声でフェルナン殿が答えた。
が、つづく二コラ殿の声からは緊張感は微塵も失われていなかった。
「いや、そうではない。だがまず始めに確かめておきたいのだ。
 憶えているか」
「もちろんだ。歳月がたったくらいで忘れていては誓いにならんだろうが」
「今でも同じことを誓えるか?」
「―――おまえは、友を愚弄する気か」

フェルナン殿の口調が初めて変じた。
そこには自身のことばの重みを疑われたことに対する怒りが確かにこもっていた。
二コラ殿もそれに気がついたのだろう。張り詰めていた表情が悔やむようにやわらいだ。
「そんなつもりではない。君の誓詞を疑ったことは私とてむろんいちどもない。
 だがそのうえでどうしても確かめたかったのだ。
 さきほどの問いが侮辱的に聞こえたなら、本当にすまない」
「―――誓えるさ。今だろうと十年後だろうと、死の床であってもな」
黙って友の瞳をじっと覗き込んだあと、ことさらぶっきらぼうを装ったような口調でフェルナン殿はそう答えた。
とたんに二コラ殿の顔は喜色に染まったが、すぐに本来の目的を思い出したのか、また複雑な思いを秘めた表情になった。

「ありがとう。―――ありがとうフェルナン、私も君に尋ねられたなら同じことを答えるだろう。
 だが今は本来の問いに移らせてほしい。
 では始めよう。生涯の誓約を交わしたわが第一の友に尋ねたい。
 アンヌ嬢のことだが、本当は君自身が彼女に想いをかけているのではないか?」

「―――はあ?」
先ほどにもまして拍子抜けした声でフェルナン殿は応じた。無理もないことである。
「二コラおまえ、どこからその着想を得たんだ」
「話せば長くなるが、ひとつには先日の君の態度だ。
 君は彼女の美質を知り尽くしながら、そのうえであえて私にあきらめさせようとしたではないか」
「それらの長所を優に覆すほど、あれは限りなく腹の黒い女だと説いたんだ俺は」
「そう、だったろうか。そうかもしれない。
 だがアンヌ嬢自身、日ごろ君の視線を背中に感じると言っていた」
「そんなことは断じてない。
 仮に俺があの女に目を光らせることがあるとしたら、
 それはおまえの目を覚まさせるに足るほどの腹黒全開な悪事をどこかで働いていやしないかと思ってのことだ」
「だが……」
「しつこいやつだな、おまえも。
 その猜疑心をどうしてもっと日常で人並みに発揮することができないんだ」

「フェルナン、では君は、本当に、―――本当に、アンヌ嬢に男として関心をもっていないと?」
「男としても何も、通行人としてすら関わりをもちたくない」
「だがアンヌ嬢のほうは、どうやら君にひとかたならぬ関心を抱いておられるようなのだ」
「俺に?馬鹿を言え」
「馬鹿ではない。彼女の口からじきじきに聞いた」
「そりゃ俺を何かの策謀に巻き込もうって腹だ。まちがいない。事前に伝えてくれて礼を言う。
 今後はあの女からいっそう距離を置いて身辺にますます気をつけることにしよう」
「で、ではフェルナン、仮にアンヌ嬢が自ら愛を告げに来たとしても、
 君は騎士としての礼節を持しつつおごそかに退けると?」
「たとえ地上に女と名のつくものが他にいなくなったとしても、あの女だけは断る。
 何もおまえの不幸を望んでいるわけじゃないが、
 俺があの女を引き受けねばならん羽目になったら喜んでおまえにくれてやる」
「ああフェルナン、わが第一の友よ!」
二コラ殿は友人の首を抱きすくめようとするかのように突如両手を大きく広げたが、
すでに腰を浮かしかけていたためか、勢い余ってフェルナン殿を長椅子の上に押し倒す形になった。

「きゃー――っ!!」
それはあたかも葦の茂みから飛び立つ水鳥のように唐突だった。
フェルナン殿の後頭部と背中が磨かれた花崗岩の表面に威勢良くぶつかる音を掻き消さんばかりに、
子どものように興奮しきった娘たちの声が四方から立ちのぼり、真夜中の庭園に響き渡った。
何だろう、と二コラ殿は辺りをいぶかしげに見渡すが、
その胸の下のフェルナン殿は何事か察するところがあったかのようにふいに愕然とした表情を浮かべた。
この辺りが潮時かしら、とわたくしは思った。
そしてあずまやをとりまく垣根の裏側に身を潜めていた同僚たちに
かねてからの打ち合わせどおり手を三回打ち合わせて合図を送り、宮室へ退散するように促した。
そしてわたくしはひとり楡の木陰から姿を現し、ひらけた空間の中央へと歩いていった。
長身の騎士ふたりは相変わらず氷結したように長椅子の上で折り重なっている。

「こんばんは、二コラ殿」
「おおアンヌ嬢、こんなところでお会いできるとは!」
月明かりのもとですぐにわたくしを見定めることができたのか、
二コラ殿はいつもの屈託ない明朗な声でわたくしを迎えてくれた。

「ああそうだ、ご報告せねば。
 たったいまこのフェルナンに面と向かって問いただしたのだ。貴女のご懸念は―――」
「ありがとうございます、二コラ殿。その件なら大丈夫ですわ。
 わたくし、今しがた同僚たちと夜の散策に出てまいりましたところ、うっかり立ち聞きしてしまいましたの。
 無理なお願いを聞き入れてくださって、心から感謝申し上げますわ。
 あなたはまさに騎士の名に恥じないかた」
「アンヌ嬢……」
ようやく友人の身体から上体だけ起こすと、二コラ殿は感慨に満ちた面持ちで私の顔を見つめてきた。
話が長くなりそうな予感がわが脳裏をよぎったので、
彼の語りを制するようにわたくしのほうからその大きな手を両手でしっかりと握り締めた。

「ああ、アンヌ嬢……!」
「おい」
二コラ殿の声を下から押し分けるようにして、憤りのこもった低いうめきが間近から聞こえた。
「あら、そちらにいらっしゃるのはたしか、二コラ殿のご同輩フェルナン殿。
 いまだ寝苦しさの残る盛夏の夜だというのに、大変仲のおよろしいこと」
「―――あんた一体どういうつもりだ」
「何のことでしょう」
「さっきの女どもの悲鳴だ。あんただな、しくんだのは」
「ああ、彼女たちのことでございますか。
 先ほども言及いたしましたように、
 今夜はとても月の佳い晩なので同僚の侍女たちを語らいこの辺りをそぞろ歩いていたのです。
 月よりもっと趣き深いものが見られるかもしれないわ、と告知してはおきましたけれど」
「き、貴様……この、腐れ女が」
「何ということを口走るんだ、フェルナン!」
「おまえもおまえだ、二コラ。ここまで利用されておきながら、なぜそうもこの女を庇い立てるんだ」
「え?われわれは利用されたのか?いつ?」
「……おまえなあ……」

「ご心配なく、フェルナン殿。
 二コラ殿の性的嗜好に関しましてはわたくしがあとで彼女たちにきちんと弁明をしておきます。
 お心に懸けねばならないのは、フェルナン殿、あなた御自身の風評です」
「き、貴様……!」
「艶やかな蔓薔薇の香り漂う夜の庭園での逢い引き、
 しかも主役であるあなたがたおふたりはそろって衆に優れた美男子でいらっしゃる。
 夢多き乙女たちにとってかくも完全無欠な耽美の世界がありえましょうか」
「何が夢多きだ!」
「わたくし自身これまで存じ上げなかったのだけれど、
 騎士叙任式のあとのおふたりきりの誓約、あの回顧の場面は大変感動的でしたわ、二コラ殿」
「えっ、そうか?かたじけない、アンヌ嬢」
「とりわけ『互いの剣の柄を交差させ』というくだりなど、そのさまがありありと目に浮かぶようでした。
 彼女たちがどのように受け取ったかは存じませんけれど。
 なんとなれば、穢れなき乙女の想像力というのは大海原のように果つるところを知りませんもの。ねえ、フェルナン殿?」
「き、貴様、気色悪いことを抜かすな!」
「気色悪いだなどと、フェルナン、そんなことを言わないでくれ。六年来の神聖な誓いではないか」
「おまえは黙ってろ、二コラ。
 もうだめだ、今度という今度は譲歩できん。
 何としてもおまえをこの嫁き遅れ女の魔手から引き剥がしてやる」

「未婚の身というのは事実ですけれど」
二コラ殿の下敷きになっていまだ起き上がれないフェルナン殿の顔を見下ろしながら、わたくしは言った。
「その形容は騎士が淑女に捧げるものとしてはいささか前衛的にすぎるのではないかしら」
「あんたが淑女なら野山の虎狼とて紳士の名に値する」
「残念ですわ、フェルナン殿。嫁き遅れという呼称さえ撤回してくださったらわたくし、
 御身の名誉の回復のためにお口添えして差し上げようかと思っておりましたのに」
「人を陥れておきながらどれだけ厚顔な女だ。
 口添えなどいらん。俺が自分であの女たちを訪ねて釈明を試みる。ついでにあんたの陰険さの暴露もな。
 これでも俺の言は宮中では相応の重みをもって迎えられている」
「存じ上げております。ですがこのたびに限っては、却って逆効果やもしれません。
 『大切な二コラ殿を奪われたばかりに、フェルナン殿は騎士の誇りも忘れて一介の女子にあんな誹謗を』
 と皆が憶測をめぐらすのかと思うと、誉れ高き家名を背負う御身がおいたわしくて」
「……あんたは嫁き遅れどころか一生嫁かず後家だ。もはや決定だ。誓ってもいい」
「またおっしゃいましたわね。あなたのご意向は分かりましたわ。
 この際、乙女たちの夢を大切になさってはいかがでしょう。
 『麗しの騎士たちは互いへの永遠なる愛の世界に身を投じ、二度と戻ってきませんでした』
 それも生き方のひとつと申せましょう」
「き、きぃさぁまあっ!」
「フェルナン、落ち着け!落ち着けったら」













そのような次第で、わたくしは最終的には「嫁き遅れ」の語を撤回する旨をフェルナン殿の口から引き出すことに成功した。
証人は二コラ殿である。
その和解協定締結に伴い翌日の朝、つまり今朝方に、
同僚たちの間を回って騎士たちの潔白のために弁を尽くすのはなかなか体力を要する一仕事だったが、
さほどの疲れはおぼえなかった。
勝利感とはかくあるべきものである。わたくしは確信をあらたにした。




(終)













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