鮎の月一日   晴れのち曇り


由々しい事態になった。
本日の正午、マルーシャ様はかねてからの約束どおり王太子妃エレノール様の離宮をお尋ねし、
御昼餐をともになされた。
オーギュスト殿下とのご結婚以来
ほかの王族がたとのこのような私的な会食は初めてのことでもあり、
わたくしは留守居役を勤めながら今ごろ姫様がどうなされているか、
御緊張のあまり作法の順序を踏み間違えていらっしゃらないか、
心無い嘲笑に傷ついていらっしゃらないか、
と気が気ではなかったが、
不安に違えて、マルーシャ様は実に幸福に輝くお顔でご帰館なされた。
姫様が楽しいお時間を過ごされたのならそれはわたくしにとっても至上の喜びであり、
僭越ながらエレノール妃殿下にも心より感謝申し上げたき所存であった。

しかし事はついさきほど起こった。
ご就寝を控えて御髪をお梳き申し上げているとき、姫様は満面にあどけない笑みをたたえてこうおっしゃったのである。
「アニュータ、今日はお昼ごはんも楽しかったけれど、もっと素敵なことがあったのよ」
「それはよろしゅうございました」

マルーシャ様が「もっと素敵なこと」とおっしゃるからには
それはおそらくあのぼんくら夫君がらみのことであろうと帰納的に推察される。
そしてオーギュスト殿下がご提示される素敵なことといえば
「マリー、このクワガタムシのつがいはとても仲がいいでしょう。まるで僕たちみたいだ。
 今までこっそり飼っていたのだけど、マリーだけにお見せします」
「まあ、わたくしだけに?うれしい、オーギュスト」
とかそのような会話で要約されうるものであり、
わたくしとしては近頃リアクションの引き出しが枯渇してきたのでできれば避けたい話題であった。

「アニュータったら、何だったか訊いてくれないの?」
姫様は少し拗ねるように甘えるようにおっしゃった。
わたくしは昔からこの声に弱いのだ。
「うかがいましょう」
「あのね、ふふ」
姫様は実に天使のように善良な笑顔を浮かべられた。
「お食事が終わってからふたりでお散歩していたとき、エレノール様がおっしゃったの。
 よろしければこれからはお姉様と呼んでって」

その瞬間、爾後数年を経ようとも忘れえまい衝撃が脳裏を迸った。
まさに晴天の霹靂というべき知らせ、いやむしろ生前に鳴らされた弔鐘とでも呼ぶべきか。
このわたくしに報知されることもなく、姫様が赤の他人とそこまで心許される仲になっておいでだとは。
しかもエレノール妃殿下とは誼を通じられてから日の浅いこと甚だしいというのに。

姫様は感激に満ちたお声で先をつづけられた。
「エレノール様って本当にお優しいかたなのよ。
 こちらの気候はルースとずいぶん違うから季節の変わり目ごとに身体をいたわってね、っておっしゃってくださったの。
 それから食習慣で困ったことはないかと。
 ちょっと恥ずかしかったけど、食卓での作法が煩雑でなかなか覚えきれませんと申し上げたら
 わたくしもそうだったわ、でも緊張が抜ければじきに身につくものよ、と励ましてくださったわ。
 エレノール様の妹君がたはお幸せね。
 あんなにお美しくてお心遣いに満ちたお姉様がいらっしゃって。
 それにあの夜空のように黒い瞳と黒い髪。まさに南国の宝玉だわ。
 なんて神秘的なのかしら……」
姫様は御目を閉じながら、うっとりとしめくくられた。

大変由々しい事態である。
マルーシャ様は一旦なにものかに打ち込まれるとその傾倒ぶり甚だしく、
全身全霊で対象物に御情愛を注がれるばかりか容易に冷めることのないご気質であられる。
オーギュスト殿下がそのよい例であるが、
あのぼんくらは所詮わたくしの敵ではないこちらはまあ配偶者であられるから致し方ない。

それにしても糾弾されるべきはあの年増女エレノール妃殿下である。
いったい如何なる陋劣な手段を用いてわが姫様の無垢なる心を籠絡し申し上げたのか。
これは迅速に追究せねばならない課題である。
明日からでも行動に移すこととする。
御年八歳のころより十年近くお仕え申し上げる臣下として、
姫様とわたくしのあいだの邪魔者は姫様のお心を平らかならざらしめる危険分子は
早々に御身辺から遠ざけてこそわが赤誠が発揚されようというものである。




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鮎の月二日   晴れ


本日は偵察初日であった。
昼下がりの休憩時間に南御苑を訪れ、
王太子妃殿下が殊にご愛好なされているという清涼な一角、蔓薔薇園の垣根の陰に身を潜めていると、
聞き及んでいた通りエレノール妃殿下が日課としてお立ち寄りなされた。
お供は母国より連れてこられたと思しき数人の侍女ばかりである。
いずれも妃殿下ご自身と同じように小麦色の肌をしている。

ふと一枚の花弁が宙を舞ってエレノール妃殿下の御髪に落ち、白と黒の鮮やかな対比をなした。
マルーシャ様が絶賛なされたのも無理はない、たしかに人目を惹きつけずには置かない美しさであった。
しばらく薔薇を鑑賞なされると妃殿下は横を向かれ、傍らの侍女に何事かおっしゃった。
彼女たちの母国語で話されているが、大意はつかむことができた。
このような盗聴の機会にも備えて外国語は学んでおくものである。

「このあたりの花もだいぶほころんできたようね」
「ええ、華やかでございますこと。
 開ききる前のまさに今ぐらいが、御髪を飾るのにふさわしいかと存じますが」
「そうねえ……見て、この薄紅色のなんて可愛らしいわ。
 でも少しこどもっぽすぎるかしら」
ご自分の年齢について正しい認識をおもちである点には賛意を表明したい。
「こちらの真紅のなどいかがでございましょう。
 レオノール様の御髪に大変色よく、艶めかしく映えると存じますよ。
 今夜のご就寝前にでもお飾りなさいましたら、王太子殿下もお喜びになられましょう」
「まあ、イサベルったら」
そうおっしゃって頬を染められたご様子は、たしかに花の精を髣髴とさせる可憐さであった。
三十路前の大年増だというのに許しがたい。
「でもこの薄紅色のもやはり捨てがたいわ。
 むやみに手折るのはかわいそうだけれど、
 あまり人のやってこないこの一角でこのまま散るに任せておくのは惜しい気がして……
 そうだわ、マリーに贈ってさしあげようかしら」

全身が硬直するのを感じた。
スパニヤ王国の第二王女にしてガルィア王国の将来の国母となられるこの貴顕の婦人は、
わがマルーシャ様と早くも一線を踏み越えた関係を築かんと企図しておられるというのか。
あのしなやかな御髪に手ずから花を挿してさしあげ、わが姫様のお心をさらに蕩逸せしめんと牙を磨いているというのか。
誠に老獪にして卑劣なる発案、王族の風上にもおけぬ姦婦である。

エレノール妃殿下はつづけられた。
「あの子の髪は白銀に近いくらいの白金色だから、これぐらい淡い色でもよく似合うと思うわ。
 それに可愛らしい雰囲気がぴったりだもの」
ふむ。わが姫の可憐さを評定することにかけては、諂巧の徒といえど真っ当なご眼識を具有しておられるようである。
しかしそのぐらいの美点で監視の手を緩めるわけにはいかない。
あくまで公正を期しつつ、マルーシャ様に近づかんとする妃殿下の本性お人となりを冷静に洞察しなければならないのだ。

とりあえず直近でなすべきことは決まった。
候補地は何ヶ所か念頭にある。
明日は非番でもあることだし、朝から御苑を巡ることにしよう。




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鮎の月三日   早朝に小雨、のち晴れ


本日の午前中は広大な御苑を東奔西走し、知る限りの花の名所を訪れた。
むろん第五王子妃殿下の御身を飾るという大義があるので、側仕えの侍女には自由に摘み取ることが許されている。
昼下がり、わたくしは心地よい疲労と深い満足をおぼえながら姫様の居室を訪い申し上げた。
両腕に抱えたこれだけの薄紅色の花々があれば、必ずやマルーシャ様のお気に召す一輪があろう。
かくなる上は、姫様の御髪を花で飾るという誉れ高き権能はわが掌中に永劫に保たれたも同然である。

しかし扉を開けたとき、わたくしは不覚にもその場に固まってしまった。
マルーシャ様の結い上げた御髪の根元には、すでにあの薄紅色の薔薇が挿しこまれていたのである。
よもや先んじられていたとは。
身中に昂然と沸き起こる敗北感はとどめようがなかった。

「姫様、そのお花は」
「これはね、さきほどエレノール様がわたくしにと贈ってくださったの。
 きれいでしょう」
マルーシャ様の幸福に満ち足りたお顔を拝見すると、負の感情はますます深まった。
わたくしは努めて落胆を顔に出すまいとしたが、意思の力では補えない部分もあったのかもしれない。
姫様はどことなく申し訳なさそうな、心配そうなお顔つきでわたくしのそばにおいでになった。

「アニュータ、とってもたくさん摘んできてくれたのね。
 どれもみんな可愛らしいお花」
「あちらの窓辺にお飾りしましょう」
わたくしは南向きの窓の脇に据えられた小卓の上に花束を置き、東洋白磁の花瓶と水差しを用意しようとした。
姫様が背後からおずおずと声をかけてこられる。
「髪に飾ろうと思っていたの?」
「いえ、よろしいのです。
 いかようにでも役立てようはございます」
「そう」
瞬間、お声がぱっと明るくなられたように思われた。
認めたくはないが、御気色のかように容易な回復に胸が痛んだのは事実である。
エレノール妃殿下はかくも巧妙にわがマルーシャ様のお心を虜にし、臣下への旧情も棄忘せしめたというのか………
今に見ているがよいあの年増女

「アニュータ、あのね」
いつのまにか姫様がわたくしの横に立っておられた。
お手には一輪の薄紅色の薔薇をおもちである。
よく見ると、白く滑らかだったはずのお手にはいくつもの見なれぬ小さな傷ができている。
刺し傷、いや引っ掻き傷だろうか。
「エレノール様がいらしたあとでね、
 同じようなお花を見つけられないかと思って、ひとりで御苑に行ってみたの。
 アニュータとおそろいで飾りたかったから。
 あなたの金髪はわたくしより色が濃いめだけれど、
 このお花はわたくしのよりもちょっと淡い薄紅だから、よく似合うと思うの。
 つけてみてもいいかしら」
そうおっしゃりながら姫様はわたくしの後ろにお立ちになり、不慣れな手つきでうなじの辺りにそっと挿し込まれた。
花弁の色づきと同じくらい淡くほのかな香りが、ふと鼻腔をかすめていった。

「アニュータ、とっても可愛いわ。鏡を見てみて」
わたくしの姿を三方からゆっくり眺められながら、姫様は実にうれしそうにおっしゃった。
鏡の中で水色の瞳を細められるご様子を見ながら、
わたくしはふと去りし日を思い出していた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




マルーシャ様が九歳でわたくしが十一歳のころ、
お仕え申し上げてからまだ一年たつかたつまいかというころだったが、
母君であられる公妃様が姫様のために被り物を仕立てられたことがあった。
それは美しい藍色の正方形の布で、四辺に白い縁取りがなされ、四隅に雪割草の下絵が書き込まれていた。
刺繍を施すための図案である。

わが国は現在では法律上の成人年齢を男女ともに十五歳と定めているが、
この「四つ花縫い」という慣わしはかつて十二歳をもって女子の成人とみなしていた時代のなごりである。
九歳から毎年誕生日を迎えるたびに、一輪ずつ白糸で雪割草を刺繍してゆき、十二歳の誕生日を期日として四隅が完成する。
そして以後は婚礼の日を迎えるまでその布でもって髪を覆い、
お下げ髪を露わに背中に垂らしていた童女時代の終焉とするのである。
実際にはこの被り物は象徴的なものにすぎず、
十二歳以上の少女たちとて平素は思い思いの彩りの布で髪を覆ったり、やや放埓な者になると何も覆わなかったりする。
しかしながらこの風習は成人儀礼であると同時に母が娘に針仕事の基礎を教える場、
つまり家政継承の契機でもあり、
現在ではむしろその意義のほうが大きいと言えるかもしれない。
むろん富貴の生まれであれば女子といえど自分で針を取る機会は少ないものだが、
母と娘の恩愛を深める伝統として公室におかれてもこの慣わしは脈々と受け継がれていた。

そのようなわけで公妃様はその年マルーシャ様のために「四つ花縫い」の布を御手ずからご用意なされたのだった。
大人に一歩近づいた証として、姫様は母君様の前で布を抱きしめて大喜びなされたものだが、
ふとお側に控えるわたくしに目を留めておっしゃった。
「アニュータは来年で十二になるのね。
 この花はもう三つめまでできあがって―――」
そこでふいに口をつぐまれた。
わたくしに母がいないということを思い出されたのかもしれない。
姫様のいたたまれなさそうなお顔を見ているとこちらのほうが申し訳ない気持ちになり、
わたくしは努めて明朗軽快に、着々と刺繍を仕上げておりますと申し上げた。
「明朗軽快に」というのは子どもながらふだん仕付けないのでなかなか困難なわざではあったが。




一輪目の雪割草への刺繍は、慣例どおり九歳のお誕生日の翌日からお始めになられた。
その日の朝マルーシャ様を公妃様のお部屋にお連れ申し上げ、刺繍道具をお広げした上で後ろにさがろうとすると、
小さなお手がわたくしの袖を引っ張った。
「アニュータもいっしょにいるの」
「お邪魔になりましょう。
 お母上様が御手ずからお教え下さいますのに」
「アニュータもいっしょにいるの。ね、おかあさま」
頑なな幼いお声に微笑を返されながら、公妃様は昨日姫様にお贈りなされたものとは別に、
もう一枚縁取りと下絵の済んだ布を取り出してわたくしにお渡しになった。

「あなたの分ですよ」
「―――恐れ多いことでございます」
わたくしは衷心よりそう申し上げ、辞退しようとした。
「アニュータもいっしょにししゅうをするの。マリヤたちはおそろいの布をかぶるのよ。
 ほら、ゆきわりそうもぴったり同じ柄なの。おかあさまは下絵をかくのが上手でしょ。
 マリヤはずっと、アニュータとおそろいのをつけてみたかったのよ。
 アニュータがねえさまで、マリヤがいもうとなの」
小さなお顔に大きな笑みが広がり、小さなお手がますますしっかりとわたくしの袖をつかまれた。




マルーシャ様が十二の御年になられたとき、わたくしたちふたりは無事に「四つ花縫い」を完成させた。
そこに至るまでに姫様は諸事情により七枚ほどの布を廃棄処分というかなかったことにされたので
無事にというとやや語弊があるかもしれない。
けれどともかくも艱難辛苦の末に獲得された力作であり、
姫様はその日は一日中それをかぶっておられたものである。
そしてご就寝時でさえ、外されようとはしなかった。

「マルーシャ様、皺になってしまいます」
枕元でわたくしはそう申し上げたが、姫様は仰向けのままぼんやりと天蓋を見上げておられた。
「できるだけかぶっていたいの。だって結婚するまででしょう」
「まだずいぶん先の話ではありませんか。
 それまでに布が磨り減ってしまいましょう」
「ううん、すぐだわ」
「まだ正式なお相手さえ―――」
「こわいの」
姫様はぽつりとおっしゃった。
弱まりつつある灯火のもとでは、お顔はよく見えなかった。

「結婚したら何もかも変わってしまう。
 知らない人たちに囲まれて、知らないことばで生活しないといけない。
 どんなふうに振舞ったら好きになってもらえるんだろう、って最近よく考えるの。
 南のほうのひとたちはルース人のことをあまり好きじゃないって聞くわ。
 人間扱いしていないとも。
 まだ外国に嫁ぐと決まったわけじゃないけど、お父様はたぶんそれを望んでおいででしょう。
 アニュータは」
姫様はふいにわたくしのほうを向かれた。
「アニュータはそばにいてくれる?
 マリヤがどこへお嫁入りすることになっても」

のちに事情により婚約を破棄することになるのだが、わたくしには当時、父親の決めた許婚がいた。
父と同じ修史官の身分であり、むろんルース国内の貴族である。
だがわたくしはこのとき、ほかにどう申し上げることもできなかった。

「おそばにおります」
「よかった」
いつもどおりのあどけない笑みを浮かべられると、マルーシャ様はゆっくりと御目を閉じられた。
「アニュータもお婿様をむこうで見つければいいんだわ。
 そうすればいつまでも一緒に―――
 ねえ、アニュータ」
「はい」
「このかぶりものをね、とっておいて。結婚しても」
「結婚しても?」
「それでおばあちゃんになってふたりともお婿様に先立たれたら、また一緒にこれをかぶるのよ。
 南の国には『四つ花縫い』がないから、マリヤたちふたりだけがおそろいなの。
 広い宮廷で離れ離れになっても、すぐ分かるわ」
姫様はころころと笑った。
わたくしも笑った。
そして、姫様の未来へのご不安がこれほど深いことに、初めて気づかされた思いだった。

「大丈夫ですわ」
ひとことだけささやきながら、掛け布団の縁をつかんでいるお手を握った。
九歳のみぎりにわたくしの袖を引っ張ったお手よりは大きくて、けれどまだほんの小さなお手だった。
「アニュータがそう言ってくれると、安心するの。
 ほかの誰より」
目を閉じたままマルーシャ様はおっしゃった。
静かな呼吸がようやく規則的になられたころ、わたくしは手を離してお側を辞した。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




マルーシャ様に見守られながら、わたくしは鏡の前を離れた。
そして午後は姫様の指先のお手当てに専念することにした。
まだ小さな棘が刺さっていないかお調べしつつ、盛大な傷跡に消毒薬をお塗りしながら、
わたくしはふと、あの雪割草もところどころが赤く染まっていたことを思い出した。




マルーシャ様は結局、エレノール妃殿下のことをお姉様とお呼びになるかもしれない。ならないかもしれない。
だがそれはそれでよかろう。
なんびとが御前に現れ出でて姫様のご関心を引こうと、わたくしの姫様が姫様であれば
―――至福の瞬間であれお心細いときであれ、
わたくしをお側に必要としてくださるマルーシャ様であれば、それでよいのである。






















が、やはり人間、寛恕の心だけでは安寧を得るに十分ではないときがある。
ついさきほど、真夜中だというのに目が覚めてしまい、以後は目を閉じても寝付かれなかった。
わたくしは諦めて真っ暗な天井を眺めつづけたが、やがて寝台を降りて文机に向かった。
そして居住まいを正して羽根ペンを取り、あくまで恭敬の辞を保ちながら匿名警告文をしたためると、
付近の衛兵を買収してエレノール妃殿下のご宮室前へ置きに行かせることに成功した。
夫君との恥ずかしい秘密を宮中に暴かれたくなければ、爾今マリー妃に近づく際は努めて慎重を期されたしとの主旨である。
念のため、ご夫妻のご内情を当方がどの程度正確に掌握しているかをご認識いただくために、
おふたりがつい最近屋外で勢いあまって夫婦の義務を履行なされたその場所と日時を挙げておいた。
衛兵を見送って寝台に戻ると、わたくしは今度こそ清々しい思いに満たされ心安らかな眠りに就いた。




(終)













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